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【書評】 燃えよ剣 著者:司馬遼太郎 評価☆☆☆☆★ (日本)

燃えよ剣〈上〉 (新潮文庫)

燃えよ剣〈上〉 (新潮文庫)

燃えよ剣〈下〉 (新潮文庫)

燃えよ剣〈下〉 (新潮文庫)

司馬遼太郎歴史小説は、私の会社の同僚が好きで、よく読んでいるらしい。まあ司馬遼太郎が好きな会社員は多いだろうが、私はそれほど得意ではない。そもそも、大衆文学全般に言えるが文章が陳腐で飽き飽きしてしまうのだ。私は谷崎潤一郎のような純文学的な歴史小説なら読むのに、大衆文学的な歴史小説は苦手なのだが、それは、後者には物語を展開することに関心が置かれ、そのために文章が考え抜かれておらず、美しさを感じないからである。今回読んだ『燃えよ剣』もやはり同じ感想で、筆が乗って書かれていることは分かるが、どうも垢抜けない。本書は、近藤勇のことを野暮ったいと説明するが、本書の文体もまず洗練されてはいないだろう。美しい日本語によって、物語を創作するという意思は、本書からは感じられなかった。

しかし、大衆文学というものがそもそも瀟洒な文による物語の創作ということに関心を置いていないということで諦めればどうなるか。つまり文章をカッコに入れて物語だけを読むことにすれば、本書は充分に良い小説と言える。標準的な水準を超えているだろう。司馬遼太郎という、一時代を築いた作家の小説は、その物語から何か得られるものがあるということなのだろう。ゆえに他の小説も読んでみたいと思った。大衆文学でそんなことを思わせる小説家は、私には司馬遼太郎が初めてだ。
燃えよ剣』で面白く感じるのは、司馬の小説にはキャラクターを通じて思想を語らせ得る点であろう。それだけ人物の描写も丁寧で抜かりがない。

本書は、新撰組副長である土方歳三を主人公に、近藤勇というオモテに立つ男と、ウラから組織を支える男・土方の対比的な描写が良い。土方は洞察力、政治力に優れ、常に思索している。行動力もあるが、近藤の影にいつも控えている。なぜなら土方は新撰組という組織を支えるがゆえに、身を犠牲にすることを厭わないからである。資質からすれば、近藤よりも土方の方がリーダーに向いているような気がしないでもない。

だが土方は陽ではない。組織を牽引するための他者との親和性に欠けるのである。明るければ良いというものではないが、ひねもす考え抜いている陰気な思索家がリーダーに向いているかといえば否であろう。土方は直ぐに人を嫌うし、それゆえに相手からも嫌われやすいが、その点、近藤は明快だし、部下からも慕われている。近藤のためにという部下もいる。だが、組織は、リーダーのためだけでは継続しきれないことを理解しているのが土方で、彼はいかに新撰組という組織が、組織として自律的に存在するための方向性を獲得し得るかを、思索し、言葉にし、自らの身を投じて行動した人物である。最期の散り際も武士らしく戦って死ぬが、決して畳の上では死なぬ士道が彼の行動に伴われているように見える。

私は同じ新撰組を扱った『幕末の青嵐』(木内昇)でも感じたが、本書を読んでも、近藤勇よりも土方歳三の方が私は好みである。近藤が嫌という訳ではないが、土方は企業のマネジャーとして学ばされるところがあり、それはひとえに、土方の行動の多くに、組織を支えるマネジャーであるかのように読み取ることができることではあるまいか。

土方は組織を強化することを目的に新撰組をマネジメントするが、その支柱となるのは剣に対する深い信念である。土方は以下のように語る。

兵書を読むと、ふしぎに心がおちついてくる。(略)孫子、暮子といった兵書はいい。書いてあることは、敵を打ち破る、それだけが唯一の目的だ。