- 作者: レイモンドカーヴァー,Raymond Carver,村上春樹
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2008/03/01
- メディア: 単行本
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妻が村上春樹の小説が好きで、時折図書館で借りてきてやるのだが(我が家には『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』しかない)、村上春樹の翻訳小説でも良いかと思って借りてきたら、翻訳は嫌だと言う。仕方なく私が読み始めたが、まあまあ良い。初めてカーヴァーの本を読むにしては、本書は特異なセレクトであるが・・・というのも、本書『英雄を謳うまい』は、初期の習作が多くある他、詩、書評や自作に関する短い文章などが収められているからだ。村上が解題で言っているように、「一般の読者にとっては、読み物自体としてそれほど意味がないという種類のものも、中にはあるいは見受けられるかもしれない」という類の本である。
文章は、村上のこなれた文章によって、胃の中に言葉を飲み込みながら読めるとでも言い得るほど、味わいのある文章である。しゃれではないが、食事のシーンは特に味覚を感じ易くなるが、村上も、そういえば食事のシーンの描写は上手である。私は村上春樹を、作家としてはあまり評価していないが、彼の文章は良いと思っている。よく言われるように翻訳調といえば翻訳調であるが、難しい言葉を使わず、簡潔で、読みやすい文章である。といっても司馬遼太郎のように無骨な文章ではないので、川が流れるように読める。物語の主人公は日本人であり、舞台も日本なのだが、翻訳調の文章のせいで、外国人が見た日本人および日本という感じがする人物設定と、物語になっている。非常に不自然である。これが私が彼の作品を退屈だと思う点だが、翻訳になると話が変わる。当然、主人公は外国人(多くは米国人)であり、舞台も外国(これも米国)だ。だから違和感がない。
村上が解題で言っているように、「自作を語る」はどれも良い文章である。彼の文学の趣味、生活風景、パートナーについての言葉が費やされ、率直に語られていく。何度も読み返したくなる文章が多数収められていた。
「オーガスティン・ノートブックより」も、長編小説の序盤として書かれた文章だが、確かに、村上が解題で言っている通りで、ここからどんな物語が始まるのかまるで予想がつかない、期待もできない小説である。だが、ここに書かれている男女のどうでも良いおしゃべり、性的な戯れなどは、私は面白いと思った。