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【映画レビュー】 教授のおかしな妄想殺人 評価☆☆★★★ (2016年 米国)

ホアキン・フェニックスが好きなので観てみた。ウディ・アレンの映画を観るのはいつぶりだろう?遠く『ギター弾きの恋』にまで遡らなければならないだろうか?アレンは、ストーリーよりも雰囲気やウィットなセリフで魅せようとする映画作家なので、筆者はあまり評価していない。今回も予想に違わず平均以下の出来と映った。

あるアメリカの大学に赴任した哲学科の教授エイブ・ルーカスは、生に関心が持てずロシアンルーレットにも手を出すような男である。腹もつき出ていて、およそ女から好かれるようには見えないが、知的で持論をしっかり持って話す素振りを見せるのでセクシーな哲学者である。そのため、同僚の教員リタや、好奇心旺盛な女子学生ジルに好かれる。
ホアキン・フェニックスは、『ザ・マスター』や『インヒアレントヴァイス』のような打ちひしがれた男を今作でも演じていて、それだけがこの映画の魅力と言えるだろう。

エイブは、リタとはセックスしようとするが、インポテンツになっており上手くいかない。全ては生に倦怠することが原因だと思った彼は、ある時ジルと食事をしている時、悪徳判事スパングリー氏の存在を知る。彼を抹殺することが社会のためになると自覚したエイブは、彼を殺す方法を考えることで、生きる気力を取り戻していく。

あらすじを書いているだけで虚しくなるのだが、これはアルベール・カミュのパクリなのか?(笑)いつ太陽のせいというのかと思ったが、生の気力を取り戻すことが動機なんだとさ。
中盤以降は、スパングリー判事をエイブがいかに殺そうとしていくかと、エイブの殺人がひょっとしたことでジルに知られた後の悲劇を何らの驚きもなく平板に描いている。ジルを演じているのは『ラ・ラ・ランド』のヒロインであるエマ・ストーンで、そこそこ魅力的な女子学生を演じている。主演はホアキン・フェニックス。役者の無駄遣いをしている気になる。

哲学者というと学者なのだし、それなりに知性が高いと思う訳だが、生の気力を取り戻すための鍵が殺人とは恐れ入る。誰が共感するというのか?この動機が喜劇として描かれていればまだしも、シリアスに考えられているからバカバカしくなる。

ボーボワールだのサルトルだのキルケゴールだのといった、一時期流行した哲学者の名前を使って講義を行うエイブ教授なのだが、古き良き大陸系の哲学者が彼の専門なのだろうか?少し古臭い感じ。確かに『ハイデガーとナチズム』の本を出そうとするなど、迷走しているように見えるが、今更このテーマなのか?ということには、エイブも自覚があるらしい。
別に古き良き哲学者を引用しても構わない。なぜ古き良き哲学者なのかということと、それに対する知見が明確であれば良い。しかし、固有名詞を乱雑に扱っているに過ぎないように見えるのは、何よりも、エイブの殺人の動機が退屈であるからだ。彼の殺人の動機は生の気力を取り戻すためというのだが、新聞の社会面を賑わす知性もへったくれもない殺人者の動機と変わりない。こんな男に魅力を感じるのは無理だろう。こんな人物設定の男になぜしたのか?ホアキン・フェニックスだから良いという程度のものだ。

ミステリーの癖に、恋人のジルにさっさと殺人の告白をしてしまうところ、そしてジルを殺そうとするも、安易に逆襲されてしまうところなど、重要と思われるポイントで適当な落としどころを示す。哲学者を乱雑に扱うだけならまだ許せるが、ストーリーまで雑では話にならない。
この映画は、ホアキン・フェニックスと、田舎の大学の雰囲気が良いことくらい。あとは何もない。