好きなものと、嫌いなもの

書評・映画レビューが中心のこだわりが強いブログです

【映画レビュー】 アデライン、100年目の恋 評価☆★★★★ (2015年 米国)

 

アデライン、100年目の恋 [DVD]

アデライン、100年目の恋 [DVD]

 

 

 

29歳から年を取らなくなった美貌の女性アデラインが、真の愛を見つけるまでをつづった恋愛物語。1908年生まれのアデラインは現在107歳となっているが、見た目は29歳のままである。演じるのはブレイク・ライブリーというブロンドの髪を持つ長身の美しい女性である。映画のカットのいくつかを見ると、アデライン役のライブリーの美しさが際立っていることがよく分かる。例えば以下の写真のように。

 

 

f:id:rollikgvice:20170329101118j:plain 

f:id:rollikgvice:20170329101129j:plain

 

 

ブレイク・ライブリーという女優を、筆者はこの映画で初めて観たが、なかなか最近ここまで魅力的でエレガントな美しい女優は観たことがなかった。もし目の前に彼女が現れたら、多くの男はおかしくなってしまうのではないか。海外ではエマ・ワトソンが筆者のお気に入りの女優だが、彼女は少し小悪魔的な顔つきが気になるのと、幼さと、田舎臭さを感じる。その点ライブリーのビジュアルは、洗練されていて、完全に近い。演技力はワトソンに及ぶべくもないが。

 

 

さて、この映画は、散々褒めたブレイク・ライブリーの美しさ以外には、何ら見るべきところがない。せいぜい、ハリソン・フォードとアデラインの娘役の女優に、ちょっとした知性とか人生経験とかを感じ取る程度だ。この映画は、まるでライブリーの美しさのためのプロモーション・ビデオであるかのように、中身がない。100年生きても尚年を取らない女性アデラインの物語は、料理しようとすればいくらでも面白い物語に転換し得るのに、この映画は愚かにも下手くそなレシピで不味い料理を客に提供する。

 

アデラインは、107歳まで生きた女性である。しかも普通は107歳まで生きれば体力も知能も衰えるはずだが、彼女はどちらも29歳のまま保っている。ということは、積み重ねられた知識と経験は、高齢と共に記憶から失われるのではなく、そのまま使われ、言葉や行動に活かされるはずなのである。

 

しかし、アデラインは29歳の頭の悪いおねえちゃんでしかない。

彼女に交際を迫って来るエリスという男の家に簡単に行ってしまうところからして、107年の知見はまるで活かされていないことが分かる。女性が独り者の男の家に行くということはセックスを了解したも同然なのだが、案の定アデラインはやすやすと体を許してしまう。男は女を抱くと、相手が自分のものになったかのように勘違いをする。そして所有したくなるものだ。107年も生きていれば、愛情をもってセックスした女性が、自分の前から離れてしまうことに、男が傷付くことは想像できるはずなのに、アデラインは安易にエリスの家に泊まり、そして、去って行ってしまう。なんだかんだ言って、最後は結ばれる訳だが。

 

西暦1908年から107年生きたのだから、第二次大戦も朝鮮戦争ヴェトナム戦争ケネディの暗殺も9.11もイラク戦争も全て見てきているのだが、彼女の頭の中にあるのは恋愛だけ。確かに、愛する人と共に年を取ることができないことは苦しい。だから恋愛を欲するというのは分かる。しかしそれだけでは映画を観る者に共感を与えることは難しい。107年も生きた上での知識や経験をもった人生観は、彼女には見るべくもない。

 

そしてライブリーの大根演技が酷く、彼女が107年も生きた女性には全く見えないことだ。彼女がもう少し想像力と理解力を発揮して、107年生きた女性を演じられれば、ストーリーの不味さを多少は補えるのに、それも不可能だ。

 

 

この映画は「伏線を張る」ということをしない。エリスと付き合うことになったアデラインは、彼の家に行く。そこで、彼の父ウィリアムに出会うのだが、実は父は、アデラインが数十年前にロンドンで付き合ったことのある男だったのだ。あまりにアデラインとそっくりな女性に、ウィリアムは「アデラインじゃないか」とつぶやく。ウィリアムによって彼女は年を取らない女性であることをあばかれる。

それにしても、ウィリアムとの出会いをなぜ先に描かなかったのか理解できない。この映画は「伏線」を張って、観る者に驚きを与えるということを知らないのか?

もしウィリアムが若い頃に付き合ったことのあるアデラインとの幸福なシーンを先に描いておけば、観る者は「この先どうなっちゃうの?」と思う訳だが、とってつけたようにエリスの父と実は付き合っていたっていう展開を見せるので、驚きもショックもハラハラさせられることも、何もありはしない。

 

そして、天文学者ウィリアムは星の名前にアデラインの愛称をつけるほど彼女に惚れ込んでいたのに、アデラインが再び現れたことで、苦悶することがない。結婚を申し込みたかったほどの女性だ。奥さんが「私を二番目扱いして」と言って憤慨しているけれど、ウィリアムにとって奥さんは二番目だったんじゃないのか?そこらへんの心理がまるで掘り下げられていない。

 

 

こんなつまらない映画でも、ブログの映画レビューのネタになっただけは良いのかもしれない。ただのおねえちゃんだけれど、ライブリーはとてもきれいで目の保養にはなる。また、久しぶりにハリソン・フォードを見ることができたし・・・