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【書評】 コンビニ人間 著者:村田沙耶香 評価☆☆☆☆☆ (日本)

 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 普段、筆者は近年の芥川受賞作など読まないし、読んだところで高い評価をしない場合が多い。ストーリーに起伏がなかったり、人物描写が薄かったり、セリフが退屈だったりと、読むに堪えない作品を読む破目になるからである。また、そのような評価できない作品が芥川賞を受賞し、マスコミの称賛を浴びてしまう状況に食傷気味になっていた。

 

しかし、この村田沙耶香という、三島賞を受賞し、新人とは言えない作家の『コンビニ人間』はどうだろう?本書は、評論家・小谷野敦が太鼓判を押していたというので、普段なかなか褒めない評論家が推薦するとなると興味深いと思い、つい読んでみたくなった。そして読んだら、これは、稀に見る良作ではないか。

つい☆5つをあげてしまったほど秀逸な出来で、他の作品も気になるところだ。☆4つにするには欠点を見つけなければならない(『ラ・ラ・ランド』の急展開のストーリーみたいに)が、ボリューム不足程度しか思いつかなかった。

それにしても、『コンビニ人間』のような良作が50万部超のベストセラーになることは、出版業界にとっては良いことだ。質が高い作品こそ売れて欲しいと思うからである。

芥川賞受賞作はマスコミから注目され、純文学ながら高いセールスを期待されやすい(映画でいえば日本アカデミー賞のようなもの)。それゆえに、良作が受賞作に選ばれると、作品の質の高さに呼応するように売れる訳で、筆者は初めて、芥川賞に意義を感じた。

 

 

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大学在学中から18年間コンビニで働いている36歳の未婚女性・古倉恵子が主人公。彼女は大学卒業後も同じコンビニでバイトとして働き続け、恋愛も性経験もしたことがない女性である。

当然同僚は変わり続け、彼女が働き始めた頃に同僚だったメンバーはひとりも残っていない。店長すら8人も変わっているくらいだ。彼女はコンビニの発する音(レジの音、掛け声、客の靴の音など)に安らぎを感じ、ここが自分の社会との接点だと信じて止まず、生活も思考もコンビニに依存していた。

 

 

コンビニ人間』の主人公恵子は、幼い頃から社会から奇異な目で見られていた。

かわいい鳥が死んだら、普通はかわいそうだから埋めるという発想をするだろうに、彼女は違う。母親に「お父さんが焼き鳥が好きだから食べよう」と言い、そして、クラスメイトがとっくみあいのケンカをしていたらスコップで殴って止める。女性教師が喚いていたら、スカートと下着ごと下ろして止めさせる。彼女は、その度ごとに教師、両親、あるいは妹から心配され、「異質な者」として認識させられていく。

ただし、これらの「異質な者」としてのエピソードが、ユーモラスに描かれているため、「異質な者」恵子が他者から疎んじられるほど忌むべき存在ではないことが分かる。関わりを避けられはするが、興味の対象としてのぞき見をされる。それは、「鳥を焼き鳥にして食べよう」と言った時に、大人たちが興味津津で恵子を見ていたという叙述に、端的に表れているだろう。彼女はその視線を、土足で自分の領域に入る態度と言っており、快く思っていない。

 

そして大学在学中に見つけたコンビニという世界に降り立った彼女は、社会との接点を見つける。ここで恵子は、同僚の言葉づかいや、ファッションを真似ることで、「異質な者」でない、社会的な者へと自らを飾り立てようとしている。それは功を奏し、内気な恵子は地元の同窓生と再会しても、「変ったね!」と好意的に言われるほど彼女らから打ち解けられる人間として、自らの役割を演じることができていた。

 

コンビニで働くことは、恵子にとって何を意味しているのか。

 

恵子は他の仕事を見つけようと選択肢を広げたことはあったようだ。しかし、上手くいかず結局同じコンビニで18年間も働き続けている。「異質な者」である恵子にとって、社会的な者を「演じる」には、コンビニで働くしかないということである。

コンビニは厳正にマニュアルが整備されていて、自らの異質性が入り込む余地がない。自らの異質性に自覚がある彼女は、マニュアルのままに働くことができるコンビニで働くことで、社会的な者を「演じる」ことができると思った。それゆえに恵子はコンビニでの労働を選ぶ。

そう、あくまで恵子にとって、コンビニで働くことは社会的な者を演じるということである。異質な者が異質性を前面に出すとエドワード・ゴーリーの『うろんな客』になってしまって、手がつけられないが、彼女はそこまで無自覚ではない。 エピソードからすれば、彼女はうろんな客そのものなのだが。

 

うろんな客

うろんな客

 

 

 

社会的な者を演じるにあたって、結婚しない理由や、就職しない理由を問われ、その都度まるでマニュアルのような回答をしてきた彼女だが、いろいろな人と交流するにつれて、徐々に質問に上手く応えられなくなっていき、仕方なく白羽という完全な「異質な者」を住まわせ、恋愛をする者を演じようとする。これは社会的な者を演じるための振る舞いにすぎないのだが、周囲の社会的な者たちは、恵子が遂に社会へと、こちら側へと、歩み寄ったものと勘違いして喜ぶのだ。

これが振る舞いにすぎないのは、読者の期待に反して、恵子は白羽を好きになることもないし、セックスもしないのである。

ただ、この試みは上手くいかず、恵子は18年も勤めたコンビニを退職するほどの乱暴な行動に移り、白羽を食べさせるために別の仕事を探そうとするが、結局は止めて、コンビニで再度、働くことを決意するのであった。

 

恵子は、自分を人間ではなく、コンビニ人間なのだと自覚するところで、物語は幕を閉じる。これは社会的な者を演じる者として、名前を与えたということに尽きる。

自分は、他者が言うところの「こちら側」の人間ではないし、そう振舞おうとしても無理であった。コンビニで働くことで、多少なりとも、社会との接点を持つ者として、この世界で生きるのが、自分の精一杯の振る舞いなのである。

 

異質な者から、社会的な者へと変貌するのでもなく、異質な自分を壊さないように、社会的な者を演じる恵子の物語は、未だ先を読んでいたい気にさせるが、コンビニ人間の自覚をして、きれいに終わるのだ。彼女は、「鳥を焼き鳥にして食べたい」と言った時の彼女と、いささかも変わっていない。ただ、社会生活をするためには働かなくてはならないし、そのためには自らの思考をマニュアル化して、異質性を隠ぺいしてくれるコンビニは、何よりも働きやすい場所なのである。

恋愛を是とするのではなく、誰も好きにならない彼女だが、もし彼女の目の前に、恵子を異質なまま愛してくれる人間が現れたら、恵子もその時は、恋に落ちるかもしれない。しかし、その彼氏は、恵子にスコップで殴られたり、人前でズボンを下ろされるかもしれない。そんな恵子の恋愛も、見てみたい気がする。・・・

 

 

***最後に***

 

コンビニ人間』にはユーモアたっぷりの叙述が随所にある。思わず笑ってしまった。この村田という作者は笑いのセンスが筆者と似ているようである。そしてこのユーモアをもって描かれているのが全て恵子であり、恵子にまとわりつく異常さは、笑いと離すことができないブラックユーモアだ。恵子には、漫画家の蛭子能収にも類似した、グロテスクだが関心を覚えずにはいられない愉快さがある。

 

・恵子は、未だにコンビニで働く理由を妹に考えてもらっている。その理由が「体が弱くて正社員の仕事ができない」というものだ。こんなことを妹に考えてもらっていること自体おかしくて笑ってしまう。

・そして、地元のクラスメイトの旦那に、「体が弱いのに立ち仕事っておかしくない?」と核心をつく質問をされ、またも妹に、「他に良い理由ない?」と聞く。そんなことを大真面目に言っている恵子にまたも笑ってしまう。

・怒っている人間の顔を見つめることに興味を持っている恵子。目の前で憤る白羽をじっと見つめながら人ってこんな風に怒るのかと、冷静に考える。「こいつ頭大丈夫か?」と、笑える。

・妹は既婚者で赤ん坊がいるのだが、その赤ん坊が泣いているシーンがある。そこで妹は母親として当然あやしにいく訳だが、恵子は、妹と共に食べたケーキのナイフを見て、黙らせるだけならあやすこともなく、他に方法があるのにと思う。ナイフを使って黙らせるということなので、親切にしてくれている妹にそんなことを思うなんてと思う反面、あまりにブラック過ぎて、ゲラゲラ笑ってしまった。