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【書評】 乃木希典 著者:大濱徹也 評価☆☆☆★★ (日本)

乃木希典 (講談社学術文庫)

乃木希典 (講談社学術文庫)

膨大な資料を元にした乃木希典の評伝

本書『乃木希典』は、大濱徹也(筑波大学名誉教授)による乃木希典の評伝。私が読んだのは講談社学術文庫版であるが、文庫にして427ページあり、膨大な資料を丹念にあたって書かれた力作となっている。乃木希典は長州出身の軍人で、明治の時代精神を体現する者である。明治とともに生き、明治天皇崩御とともに殉死する。彼の殉死は国際的にも知られているほどであった。

構成は、「乃木希典の生涯」「日露戦争後の社会と乃木希典」「明治の終焉」「乃木の死が投じた波紋」「軍神乃木像の展開」の5章から成り立っている。「乃木希典の生涯」には160ページほどが割かれて、厳格な両親や師匠など、長州時代から、軍人となり日露戦争までが描かれていた。次章以降では日露戦争と乃木について、さらに明治天皇崩御とともに明治が終焉し、乃木が殉死したこと、そしてその殉死による波紋など、多くの資料を元に多方面の視点から乃木希典という人物とその周辺、そして社会に至るまで丁寧に描いていく。

私は乃木希典という軍人のことを知らず、本書を手に取ってみたのだが、どうやらあまり好ましい人物ではないようだった。文章が読みやすいのですらすらと読めはしたし、本書が資料を丹念にあたっていることも高評価なのだが、いかんせん、乃木という人物が好ましくないので、評価は少し厳しめのものとなっている。ただし、客観的に乃木希典を知りたいという読者には、好著だろうと思う。

乃木希典の殉死

明治天皇崩御後、乃木希典は妻・静子とともに自殺した。明治天皇を追っての殉死である。乃木だけが殉死するのではなく妻を道連れにするところが独特で、私は二・二六事件に取材した『憂国』(三島由紀夫)を思い出す。『憂国』でも主人公が妻とともに自殺するのである。『憂国』は死とエロティシズムが鮮烈に描かれているのに対し、乃木夫妻の自死は官能的ではない。『憂国』の主人公夫妻は大義のために自殺するから、乃木夫妻同様であるが乃木夫妻の自死にはどうにも官能的なところがない。しかし官能的でないところがかえって乃木夫妻の明治天皇への忠誠を露わにするように見える。ここに官能性がほの見えると、不純な気さえする。純粋に明治天皇への忠誠のために死ぬこと、それが乃木希典夫妻の自死である。

乃木希典夫妻には3人の兄弟がいたが、1人は早世、そしてのこり2人はどちらも戦死しており、乃木希典の直系は夫妻の自殺をもって断絶されている。乃木希典本人も乃木家を断絶させたかったようである。

乃木希典の殉死による波紋

乃木希典の殉死は、明治時代を生きてきた同時代人に多大な影響を与えたが、私が本書を読んで印象に残ったのはむしろ大正時代の文人への波紋を書いた箇所である。

白樺派志賀直哉は、以下のとおり、乃木に対する強い反発を示していた。引用は志賀直哉の日記である(英子というのは家族であろうか)。

乃木さんが自殺したというのを英子からきいた時、馬鹿な奴だという気が、丁度下女かなにかが無考えに何かした時感ずる心持と同じような感じ方で感じられた。

大正人である白樺派にとっては、「乃木の自殺は癪に触るほどの愚劣なもの」でしかなかったのである。下女がしでかした愚行と同列に扱われるほどなのだ。特に白樺派は、学習院出身者が多く、乃木希典学習院院長を務めていた頃にその前時代的な教育方針に辟易していたというから、その自殺は到底敬意を表されるものとはほど遠かったものと見える。

私はなんとなく乃木希典という軍人は、第二次大戦終了後に軍神から俗人に貶められていたように思っていたが、当時の知識人の中には白樺派に限らず乃木の殉死を批判していたものがいたようである。乃木の殉死については評価が二分していたことが、引用を元に詳しく書かれていたのだった。

乃木希典漱石と鴎外

乃木希典の殉死は、明治の代表的文学者である夏目漱石森鴎外にも影響を与えた。そしてこの両人は乃木希典の殉死を通して、創作の材料としたのである。漱石は『こころ』に、鴎外は『興津弥五右衛門の遺書』という短編小説にそれぞれ結実した。

前者は誰でも知っている名作である。教科書にも掲載されており、文字通り夏目漱石の代表作だ。『こころ』では、先生と呼ばれる人物が恋愛関係に悩み死を考えていたが、乃木希典の殉死を契機に自殺を実行に移す。その際、自分が死んだあとの妻の生活を気にかけており、妻には血を見せたくないとまで言う。
妻を道連れに殉死した乃木希典との差異がここにある。

鴎外は乃木と交流があり、彼の殉死には大きな衝撃を受けたようである。『興津弥五右衛門の遺書』は興津弥五右衛門という歴史上の人物に乃木希典を託して描かれた。いわば鴎外の乃木希典像であろう。

漱石と鴎外による乃木希典観には相違がある。著者は以下のように書く。

漱石は、乃木を支えていた「克己のモラル」が、伝統思想と密着したものであることを見ぬき、そのてんに関し、乃木に対して批判的であった。このことは、漱石と鴎外を根底からわけるものである。

明治人になりきれなかった漱石と、明治人として芥川などの大正人とも通じる心を持つ漱石などの対比的な記述は強い関心を抱かされた。