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ももでちっそく

書評・映画レビューが多くなってきましたが、雑記ブログです。口が悪いので酷評することも多いです。すきなひと、さーせんね。

ひとり日和 青山七恵 評価★☆☆☆☆ (日本)

ひとり日和 (河出文庫)

ひとり日和 (河出文庫)

青山七恵芥川賞受賞作の表題の他、一つの短編が収められている。
初めに言っておくと、俺は現代日本文学が全体的に苦手である。巧みなストーリー展開を披露した遠藤周作が生きていた頃くらいまでは良かったのだろうが、今や退屈な作品が多い。

一番の理由が、私小説的に日常を淡々と描いた作品が多いからだ。

そんなものを読んでもだから何なの?と思ってしまう。何のドラマもなく、物語らしいものもなく淡々と日常を描いたものに価値を感じない。

そういう訳で『ひとり日和』も淡々と日常を描いた作品として、ほとんど存在価値を感じることはなかった。こんな作品に芥川賞を与え、若手の登竜門としての評価を与えているから、日本文学が代わり映えしないのだ。

本書の解説者が言うように、透明感のある文章ではあるが、ストーリー展開は見るべきものがない。透明感のある文章は確かに悪くないから、創作はやめて、日常的な出来事を淡々と描くエッセイでも書いていればまだしもこの作家の魅力は出るのだろう。しかしこれは小説だ。創作力のかけらも感じない。

特に退屈なのは恋愛描写だ。まるでこの青山七恵という人は恋愛経験がゼロなのではないかと疑うくらいに単調な描写が続く。

恋愛の対象は三人出てくる。

一人は陽平。二人目は藤田。そして最後は同僚。どの相手にも、どのくらい好きなのかとか、あるいは、どうして好きになったのかが全く描かれていないのだ。だからどんな出来事が起こってもだから何なの?と思う。読者は主人公の人間関係に他人事なのだ。

陽平とは、どこかの小説か映画で見たかのように、主人公が訪ねていくと、下着姿の女が現れて終わる。この終わり方もありきたりで覚めるが、主人公は陽平を好きかどうかも分からないから、どうでも良い描写になっている。
もっとも、陽平の場合は、主人公が同居することになるおばあさんとの関係をよりクローズアップするための素材だから、まだこの程度の描写は許されるかもしれない。

しかし、一方、藤田に対してはどうか。一番長く主人公との関係を文章で書いてある相手なのに、大して話したこともないのにいきなり恋愛対象になっていて、簡単に付き合えている。

主人公は、年齢が20歳くらいの若い女性だ。大してきれいでもなく、おしゃれでもなく、文章を読む限り魅力を感じない、孤独を愛する女性だ。しかもおばあさんと同居している。

こんな女性が気軽に男と付き合える訳がない。ましてやセックスも自然に行える訳もない(でも、セックスもできている)。もてない男なんていうエッセイがあるが、主人公はいわば、もてない女である。

藤田のことを、主人公がどのくらい好きなのか分からないし、なぜ好きになったのかも分からないから、主人公を藤田が振ったのも当然と言えば当然だが、あいかわらず、だから何なの?という感想しか出てこないのだ。

そしてさいごに出てくる同僚の男。この男とも何やらデートめいたことをするのだが、男は実は既婚者なのだ。

既婚者が不倫したいと思う時、結婚では味わえない感情を味わう時に不倫したくなる訳だ。つまり恋愛である。結婚と恋愛を別物と考えてしまう既婚者にとって、現実の生活感のある異性よりも、非現実的な恋愛を楽しめそうな異性との交際を望む。だから、主人公みたいにもてない女なんて選ぶはずもない。

もし、もてない女でも不倫の相手に選ぶとしたら、主人公に何らかの魅力があって、男がそれに陥れられなければならぬのだが、そんな根拠はどこにも書いていない。

この小説は、恋愛を一切排除すれば良かったと思う。書けないのだから。

恋愛を排除し、おばあさんとの奇妙な同居(同居のシーンだけは良い)だけを描いていれば良いのだ。そしてオタクみたいな生き方を貫き、男なんかくだらねーバーカバーカとオッサンみたいなこと言って、そして、何か、それこそ、小説とか漫画みたいなのが好きで、応募しているが全く受からなくて、バカヤローって一人で怒鳴ってる女だったら、まだ面白かった。というか、そういう設定の方がまだリアリティがある。こんな嘘くさい恋愛描写と、全く進展しないストーリーを見せられるくらいならば。