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【書評】 トリップ 著者:角田光代 評価☆☆★★★ (日本)

トリップ (光文社文庫)

トリップ (光文社文庫)

地方都市を舞台にした連作短編集。各短編に多少の繋がりはあるものの、ストーリーの構造に関連があるのではなく、あるストーリーの主人公が、別のストーリーの主人公に地の文で触れられるという程度。地の文で触れられた人間が、違うストーリーでは主人公になっているというのは悪くない発想だが、ストーリーの構造に関連がないから、何ら驚きがない。別のストーリーで主人公になっていても、「あっ、そう」という程度。

角田光代らしい孤独感はよく出ている。どの主人公もみんな孤独である。ただし、その孤独さは激しいものではなく、どこか喜劇的なので読者との距離が短いのだ。1つ1つのストーリーは短いし、起伏のないストーリー構成は、むしろ日常の孤独感を浮き彫りにする。これで長いストーリーであったり、ストーリー構成が複雑だと孤独感が脇に追いやられてしまう。日常に潜む孤独をストーリーに乗せて語っていく技術は本作の長所だと思う。見事というほどでもないが。

トーリーは10編。これを多いと見るか少ないと見るかだが、俺は多いと思った。何しろストーリーの構造に関連がないから、本作のテーマたる日常の孤独を10編の短編を読んで、文字通り「消費」しているだけという印象を抱くからだ。途中で読んでいて飽きてくるし、最後まで読ませるインセンティブは強くない。

日常の中の孤独を描いたという点では、本作は見るべきものがあると思われるが、10編もの短編を最後まで読んだところで、何かしらのテーマや言葉に昇華されることはない。それぞれの短編に何らの関連がある訳でもない。日常は永遠のように続くし、その日常を変えようと努力しても何も変わることはないという読後感は独特だが、それ以上でもそれ以下でもない。

今年のアカデミー賞

米国最大の映画の祭典アカデミー賞の受賞結果が決定しました。今年も、俺には刺激の少ない受賞結果でしたね。何だか政治色を強く感じて、本当にこれで良いのって感じ。

 

■作品賞   『ムーンライト』

主演男優賞 ケイシー・アフレックマンチェスター・バイ・ザ・シー

主演男優賞 エマ・ストーン『ラ・ラ・ランド』

助演男優賞 マハーシャラ・アリ『ムーンライト』 

助演女優賞 ビオラデイビス『Fences』

■監督賞   デミアン・チャゼル 『ラ・ラ・ランド』

外国語映画賞 『セールスマン』

 

作品賞は人種問題やジェンダーを描いた『ムーンライト』。最多タイ14部門ノミネートの『ラ・ラ・ランド』は作品賞を受賞しませんでした。

監督賞は『ラ・ラ・ランド』のデミアン・チャゼルが受賞できました。チャゼル監督は、若干32歳というから驚きです。俺よりも年下。

 

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ラ・ラ・ランド 

 

さて・・・。

助演男優賞マハーシャラ・アリ、女優賞はビオラデイビス。二人とも黒人俳優です。アリの方は作品賞『ムーンライト』での受賞。

一瞬、「二人とも黒人俳優なのか」・・・と嘆息しました。もっとも、演技を見てから評価しなければなりませんが、人種差別、移民排斥のトランプ政権への批判を繰り返すアカデミー賞らしい選別と思ってしまう。どうしても政治色を感じざるを得ません。加えて、去年の俳優部門は白人一色の候補で批判を浴びたため、今年は2人の黒人俳優に助演賞を授与した、そんな構図が見えてならない。

まあ、マハシャーラ・アリは『ハウス・オブ・カード』のレミー役で鮮烈な印象を残しているので、受賞作でもこのパフォーマンスを続けたなら、受賞にも納得はいきますが・・・

 

ウィル・スミスさんも欠席表明 「白人一色」のアカデミー賞 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

 

外国語映画賞イラン映画『セールスマン』。アーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』に題材を得ているようです。

監督のファルハディと主演女優のタラネ・アリシュスティが、トランプ大統領の大統領署名に反対して、アカデミー賞授賞式への欠席を表明した、という政治的なエピソードがある本作。

はぁ、またも、反トランプのアカデミー賞が選びそうな作品という感じがしてしまう。

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これはヒラリー氏です

 

最多タイ14部門にノミネートされていた『ラ・ラ・ランド』は、6部門の受賞に終わりました。14のノミネート数は『タイタニック』と並びます。

作品賞を『ラ・ラ・ランド』が受賞するのではないかと思いましたが、トランプ大統領への反旗なのか、ある意味予想通りに『ムーンライト』が受賞したような印象を受けました。『ムーンライト』はアカデミー賞の前哨戦ともいえるゴールデングローブでも作品賞を受賞しているので、アカデミー作品賞を獲っても何らおかしくはないんだけど・・・ただなぁ・・・ですよ。

 

『ムーンライト』は人種問題、ジェンダーなどがテーマのようなので、『ラ・ラ・ランド』のようにある意味無色なミュージカル映画とは違う。どっちも観ていないのに言う資格はありませんけど、どうも無色な映画『ラ・ラ・ランド』の方が面白いような気がしてしまう笑

 

ちなみに、『ムーンライト』はブラピがプロデューサーを務めています。彼が以前プロデューサーを務めた『それでも夜が明ける』もアカデミー作品賞を受賞しました。どちらも人種問題を扱っていますね。ブラピは俳優として作品選びがうまいですが、プロデューサーとしても鼻が利くのでしょうかね。

 

『ムーンライト』のストーリーはこんな感じです。

フロリダで生まれ育った黒人少年が、自らの同性愛の芽生えと折り合いを付けながら、麻薬常習者のシングルマザーに育てられているという不遇を乗り越えようとするというストーリー

映画『ムーンライト』にアカデミー賞を──ある映画人のオープンレター|WIRED.jp

 

人種問題やジェンダーを盛り込んだこの作品、いかにもアカデミー賞が好きそうな作品と言う感じはします。俺は批評家ではないので、観たいと思う作品しか観ませんが、『ムーンライト』、今のところ、観たい気にはならない。

未練タラタラで申し訳ないけど、アカデミー賞を受賞しそうな『ムーンライト』ではなく『ラ・ラ・ランド』を選んで欲しかったな・・・。

まあ、『ラ・ラ・ランド』、未だ観ていませんけどね。

 

rollikgvice.hatenablog.com

 

 

アカデミー賞は国際的な映画賞ではありません。日本アカデミー賞毎日映画コンクール(*)なんかと同じ。あくまでドメスティックな映画賞。でも世界的には、3大国際映画祭を押さえて、アカデミー賞の方が知名度が高いですね。Yahoo!ニュースで、3大国際映画祭の最優秀作品賞の結果がトップに来るのって、なかなか無いですよね。宮崎駿がベルリンで獲った時は来たんでしょうが、日本映画が獲ったからということでしょうから。

(*)毎日映画コンクールは本来、邦画・洋画を問わず受賞作を決めているそうだが、受賞作が邦画ばかりなので日本アカデミー賞と並称している

 

何ででしょうね。やはり、米国は世界で最も売れる、ハリウッド映画を作っているからでしょうか?映画の市場も、米国は未だに世界一。影響力が大きいんでしょう。

 

アカデミー賞の立ち位置自体(報道のされ方)が、トランプの米国第一主義と変わらないような気がしてしまいます・・・たかが米国の映画賞じゃないか。そんなにマスコミが騒ぎたてるほどでもない。という風になって欲しいのですが。

 

ドメスティックな映画賞にここまで心を奪われている俺が言っても説得力がありませんがね。ダハハ!

 

追伸・・・撮影賞にノミネートされていた『沈黙』が受賞を逃したことについて、出演俳優の窪塚洋介のコメント

「昔から思っていることなんですけど、賞はおまけみたいなもので、一番大事なのは作品がどうだったかということ。そういう意味では何とも思っていないです」

 

確かにその通りで、作品がどうだったかってことが一番重要。

でも世間はそう見ませんしねえ。スコセッシ作品としては不人気だったし、賞レースにも組み込めなかったというのは、残念でしかない。

まあ世間なんかどうでもいいか、これだけ日本で窪塚が騒がれたらいいわ。次のハリウッド映画も決まっていることだし・・・あとは英語か。

 

てか、かっこいいな。窪塚。ファッションといいメガネに髭といい。ジャケットの裏地とタイを合わせてるのか笑

いやはや、似合うから凄い。ポール・スミスでしょうかね?

 

headlines.yahoo.co.jp

【書評】 問題解決プロフェッショナル 思考と技術  著者:齋藤嘉則 評価☆☆☆☆☆  (日本)

 

新版 問題解決プロフェッショナル―思考と技術

新版 問題解決プロフェッショナル―思考と技術

 

 

もはや紹介不要とさえ思われる問題解決の基本書。著者は経営コンサルタント、H.ミンツバーグ『戦略サファリ』の監訳も務める。経営コンサルタントが書いた問題解決の本とはいっても、コンサルタントに限ったものではなく、一般のビジネスに携わる人向けの本である。

 

本書はあまりに有名で、就活中の学生さえ手に取る本だから、レビューを書くことすら恥ずかしくさえ思えるが、それだけ人口に膾炙したのは、問題解決の手法とは、コンサルタントの基本に留まらず、ビジネスの基本であるからだ。

 

思考編で「ゼロベース思考」「仮説思考」を、技術編で「MECE」「ロジックツリー」が説明される。

・・・と、まあ、「ゼロベース思考」だの「MECE」だのと、このありきたりとも言い得る言葉を並べると、「何を今さら」と思われるかもしれない。しかし本書ほど、上記の4つの項目について、事例や図を用いて、不要物を排した簡潔な日本語で説明されたものは類を見ない。

 

そして、プロセス編と実践編で「ソリューションシステム」が紹介されるが、思考編と技術編を駆使したものなので、思考編・技術編が基礎ならば、「ソリューションシステム」は応用とでも言うべきものだ。

 

著者によって考え抜かれた思考は、簡潔な言葉で並べられ、ビジネス書でありながら静謐な美しささえ感じさせる。問題解決の基本的な考え方をこれ以上でもこれ以下でもなく、シンプルに書き連ねられた本書は、ビジネス書の古典か教科書であるかのよう。

1997年に出版された本書がビジネス書としては異例のロングセラーとなり、35刷の版を重ねたのも、当然という感じだ。

 

本書を読むと、問題解決は問題解決の思考を元に、ビジネスで現実に「実行」することが重要だと分かる。当然だが単に問題解決の知識を知っているだけでは意味がなく、実行しなければ価値を持たない。

 

例えば、ゼロベース思考については以下のように説明される。

 

<ゼロベース思考>とは、「既成の枠」を取り外して考えるということである。

 

ゼロベース思考とは「既成の枠」を取り外して考えること。文章化すれば「な〜んだ、そんなこと」と思われるだろうが、著者が指摘する通り、わかっていることと、実行できることとは大いに違う。

 

「既成の枠」を取り外して考えること、即ちゼロベース思考を「実行」してみると、非常に難しいことに気付く。

例えば仕事をしている時に自らの思考を振り返ってみると、案外に自らの「既成の枠」に囚われていることを知るだろう。これまでの自らの仕事のやり方、自部門のやり方、会社のやり方を踏襲する。それが当たり前で、問題解決もその枠の中で考えていく。それで問題が解決できていれば良いが、なぜか上手くいかない。問題が深いものであればあるほど、解決策は導き得ないだろう。

 

そういう時に、自らの枠(既成の枠)の外を目指して、解決策を考えていくと導き出されることがある。しかし、そのためにはよほど考え抜かなければならないし、考えたところで必要な人材を活用しなければならないし、上司や会社の壁も出てくるかもしれない。

 

壁にぶつかると精神も折れてくるし、「もういいか」と思いたくなる。しかしそう思ってしまうと、「既成の枠」の内側に、思考がまだ滞っていることになる。「もういいか」ではなく、「もう少しがんばってみよう」と実行することで「既成の枠」の外にある解決策を導出することができよう。非常に労力の要る思考と実行であるが、本質を突いた解決策が出てくるはず。既成の枠を外して解決策を導き出すのだから、楽ではないのだ。

 

しかも既成の枠に安住している方が壁もなくて楽なので、ついつい居心地が良くて、思考を居座らせがちである。ゼロベース思考を自分のものにするには、よほど鍛錬をしなければならないことが分かると思う。

 

仮説思考についてはこんな感じ・・・

これは引用した文章を読んだだけで「な~んだ、そんなこと」とは思えないだろう。むしろ「これはなかなか手ごわいぞ」と思うのではないか。

 

<仮説思考>とは、限られた時間、限られた情報しかなくとも、必ずその時点での結論を持ち、実行に移すということである。

 

何しろ、必ず、その時点での結論を持つ、などと言うことは普通に仕事をしていたら、できないからだ。

例えば全く新規の問題が勃発した時に、その時点での結論を必ず持っているなどということは、普通はできない。さあ、どうしようと考えあぐねるばかりだ。

しかし仮説思考を習得しておくと、新規の問題であっても必ずその時点での結論を出せるのだ。

当然ながら100%完璧な結論ではない。ビジネスで求められているのは、最初から完璧な結論ではなく、荒削りでも良いから迅速に結論を出す、ということだ。

そして、「So What?(だから何なの?)」と解決策に問い続けて結論を更新し、検証していく。そうすることで精度の高い結論が出てくるだろう。これだけ変化が速い現代のビジネスの現場では、ゆっくりじっくりと検証を重ねているうちに前提が様変わりすることなんていくらでもある。だから、さっさと現時点での結論を出してしまい、検証を重ね、最後に精度の高い結論を出せれば良いのだ。

 

こんな感じで、MECEやロジックツリーについて、ソリューションシステムについても非常に分かりやすく書かれる。そして、本書は問題解決の教科書らしく無駄がない。

 

問題解決の思考と実行はどこでも使える。例えば俺が趣味で書いているライトノベル(笑)でも、「仮説思考」を使って、こういう小説の枠組みにしよう、キャラはこんな風にとしておく。とりあえず結論を出すということだ。

そうするとすらすらと書けるが、完璧な結論ではない(つまりこれでこの小説は完璧!とは言い得ない)。ゆえに、「だから何なの?」を使って物語を更新していく。そうするとそんなに時間がかからずに、納得のいく小説が書ける。

 

ただし、小説は仕事と違って「大いなるセンス」が問われる。文章力もそうだし、キャラ設定、セリフの選び方、世界観。だから、スピーディに書けるからと言って俺のラノベが新人賞を獲れるとも限らないのだが苦笑

 

閑話休題、問題解決の思考を元にビジネスの現場で実行するのが本書の目的だから、きれいにカバーをつけて読むのではなく、「雑」に使っちゃおう。後生大事に抱えても仕方がない。線など引いて、書きこんだりして、習得して使い倒し、実践に活用することが良いだろう。

問題解決をビジネスで実行できるようになれば良いのだが、結構難しい。しかしできるようになると、問題に対する的確な解決策を導出できるようになるし、ひいては仕事の効率化にもつながる。働き方改革として問題解決の手法を使ったら、労働生産性が高まるだろうから。

食事処at川崎

川崎で泊まりの仕事があったので、夜は外で食べてきました。

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1日目は、とんかつ・つか田

この店は川崎駅から遠いですが、安くて旨いです。
川崎の歓楽街を通過した先にあります笑

ロース定食は1050円。

ロースは脂身が少なく、柔らかいので、箸でサクッと切ることができるんです!

と、味は良いんですけれど、店内がカウンターとちんけな座敷のみなので、めっちゃ狭い!オマケに喫煙可なので、嫌煙家の俺には辛い環境です。。。

んー、でも美味しいからまた来ちゃうかもな〜



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2日目は、炭火串焼のTorico。

炭火串焼の店にもかかわらず、なんと全席禁煙という高待遇!店内には子連れもいるくらい。

しかも、喫煙者のために喫煙室もある。飲み屋で禁煙はありがたいけれど、喫煙室もないと喫煙者を連れて行けないんですよね。それだと客足も遠のく。喫煙者って、お酒飲むとタバコを吸いたくなるようで。

店内は明るいデザインで、女性連れにも良さそうです。てか、女性だけでも入りやすい。俺が行った日もいましたけど、こういう店に一人で来てる女性って良いですね。

串焼はあっさりした味で口当たりがまろやか。値段もお手頃。

オーナーは女性だそうです。気遣いがさすが。また来よう!

俺みたいに一人で訪れてサクッと食べて、帰っても良い。

女の子と来ても良い店。川崎のくせにやるじゃないの!!
この店も駅から遠くて、たどり着くまでに、繁華街を通るのが早いけど、迂回してでもまとも(?)な道から来た方が、男の株は上がる。川崎の歓楽街って下品だからなぁ。

【映画レビュー】 バトルシップ 評価☆☆★★★ (2012年、米国)

 

バトルシップ [Blu-ray]

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製作費2億ドルもかけた超大作SFアクション映画。しかし全世界の興行収入は3億ドル程度と、製作費に比して大ヒットとは言い難い興行成績だ。日本では浅野忠信が出演していることもあり、14億円程度のヒット作となっている。リーアム・ニーソンも出演しており、『沈黙』以前に浅野とニーソンが共演していることを知った。

 

予め、ラジー賞に他部門でノミネート、また、ローリングストーン誌を始め、批評家から酷評されていることを知っていたので、単に浅野を見るためだけに鑑賞。

 

本作はユニバーサル映画100周年記念作品であり、また、そういうハリウッドの大作映画に浅野が出演したという事実は面白いが、映画は面白くない。浅野忠信には、もう少し面白い映画に出演して欲しかった。

本作でのパフォーマンスもそれほど良くはない。浅野の登場シーンは、冒頭から良くない。日米対抗のサッカー試合で出て来るのだが、主人公のライバルとしてのポテンシャルを示すために、やや威嚇的に主人公に対するのだが、どこの馬の骨ともわからないアジア人が調子に乗っているようにしか見えない。何だか、高校生までずっと陰気だった癖に大学デビューすると級に快活な振りをして周りとコミュニケーションを取りたがる男みたいだ。

浅野は声がこもっているので、快活な役柄はあまり得意としない。『私の男』のような陰惨で狂気的な役柄は巧みに演じるし、あるいはテレビドラマだが『ロング・グッドバイ』のように裏社会と表社会の接点にいるような探偵役を自然に演じるのだが、本作のように主人公のライバルとして露骨に対照的なパフォーマンスを見せる役柄は不得手である。

 

ラストサムライ』や『インセプション』のような良作に出演した渡辺謙に比べると、ハリウッド映画に関しては、浅野は、作品選びが悪かったように思う。とはいえ、最近の『沈黙』は悪い映画ではないし、浅野自身も良い演技を見せていたので結果オーライか。

 

日本では『バトルシップ』のファンがいて、彼らをバトルシッパーと呼ぶという。みうらじゅんのようなB級映画を偏愛するファンなのだろうか。確かに、B級映画的な面白さはあるようだ。特に機械のようなエイリアンは、金を徹底してかけながらもデザイン性にかけ、非常にチープだ。金をかけながらチープなデザインしか描けないというのは、往年のB級映画インデペンデンス・デイ』を思い起こさせるだろうか。

 

ただ、俺にはそういう楽しみは出来ないので、本作も高い評価を与えることは出来なかった。