好きなものと、嫌いなもの

書評・映画レビューが中心のこだわりが強いブログです

【書評】 人生確率論のススメ〜運でなく、確率を支配しよう〜 著者:勝間和代 評価☆☆★★★ (日本)

 

人生確率論のススメ (扶桑社新書)

人生確率論のススメ (扶桑社新書)

 

 

私はバラエティ番組をほとんど見ないので、勝間和代をテレビで見たことがない。だが最近ネットのニュースで、「勝間和代が五反田にあるボードゲーム店のオーナーになった」ということを知ったので俄かに関心を持ち、図書館で本書を借りて読んでみた。ボードゲーム店の代表者コメントとして勝間は、「ゲームの効用に関しては、みな誤解していますが、なんと、スポーツや瞑想以上の脳トレの効果があります。若返りにも、健康維持にも、すべてに効きます。しかもたのしいものです」と言っていて(ホームページ参照)、なぜゲームに脳トレの効果があるのかサッパリ分からないことを言う。若返りや健康維持に効くとも言っていて、マルチビジネスみたいで気持ち悪い。そこまでして自分の店に来てほしいのか?


報道によれば最近はあまりテレビに出演していないようで、「あの人は今」状態になっているのかと思いきや、家事の本などを出していて、全然消えていない。ただテレビから消えただけなのである。そういえば、たまに地下鉄に乗ると車内のモニターで勝間を見ることがある。何かのバラエティ番組の一場面なのだが、何の番組かは定かでない。テレビからも消えてはいないようだ。

 

本書のタイトルは、『人生確率論のススメ〜運でなく、確率を支配しよう〜』というもの。本書の序盤で著者は、運の良い・悪いを決めるのは、超越的な神が決めるのではなく、自分の行動が決めると言っている。つまり運の良さ・悪さは、結果の不平等なのである。


本書で引用された通り、リチャード・ワイズマンという心理学者は、実験で、運が良いと思っている人、悪いと思っている人に宝くじを買ってもらったところ、その結果は平等だったという。

しかし、被験者の憧れの人をある店に置いて気づくか否か調べたところ、結果に違いが現れた。運が良いと思っている人は憧れの人に気づいたけれども、運が悪いと思っている人は気づかなかったのである。人を現金に変えても同じ結果であった。ここから言えるのは、運の良さを決めるのは、目の前にあるチャンスをつかむ’行動’を取れるか?ということなのだ。目の前にあるチャンスは、平等に置かれているのだが、運の良い人はそのチャンスを掴むことができるという訳だ。


勝間は、運を掴む確率を上げるためには、社交性・環境適応・積み上げが必要だと言う。確率的に良い行動を取ると運を掴めるとも言う。ここらへんは私の実体験にも通じるどころなので悪くない。あとは、確率的な行動の取り方を追求して考えると、利己的な行動を取る人は運を逃している。利他的な人ほど成功する。行動経済学的な感性に見えるが、これが真の合理性かもしれない(笑)

【書評】 生産性 マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの 著者:伊賀泰代 評価☆☆★★★ (日本)

 

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

 

 

マッキンゼーの採用マネージャーによる生産性向上を解いた本。著者は、現在は独立しているのだが、前著『採用基準』、本書のような、マッキンゼーの経験から得たビジネス書で名を挙げた。もう独立しているのだからマッキンゼーから離れても良いと思うのだが、マッキンゼーではこう実践しているとか、考えているというフレーズの本は、需要があるのか訝しく思うが、本書は、ビジネス書ランキングで上位にいたのだから、一定の需要があるのだろう。

 

本書では、生産性向上のための4つのアプローチが興味深い。

 

アプローチ1:改善による投入資源の削減

アプローチ2:革新による投入資源の削減

アプローチ3:改善による付加価値額の増加

アプローチ4:革新による付加価値額の増加

 

生産性を上げるとひとくちにいっても、上記4通りのアプローチがあり、それぞれを達成するための手段としてイノベーション(革新)とインプルーブメント(改善)の2つがある。著者は、日本企業における生産性の概念が欧米企業とは違うのだといい、日本では生産現場における改善運動から生産性という概念が普及したので、「生産性=改善的な手法によるコスト削減(アプローチ1)」が定着してしまっているという。本来は4つのアプローチがあるのに、日本企業では製造現場におけるコスト削減に集中している。ゆえに、企画や開発部門などの分野では、生産性向上が自分たちの仕事にも重要だと、認識しないままできているのだというが、本気か?俄かには信じがたい。

 

日本企業も失われた20年などと言われて久しいけれども、「日本対海外」のように二項対立的に一括りにして、日本は遅れているのように言わなくても良いのでは?と思う。何だか外国人が見た日本文化論のようで素朴すぎる。というのも1章で4つのアプローチを記述する中で、「世界と日本の違い」という表現で対立的に書かれているのだが、この素朴さは、著者がマッキンゼーという米国の外資系企業で働いていたのだし、本書の売り文句も「マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの」という副題が付いているくらいだから、致し方ないところか。私の顧客(日本企業)でもアプローチ2〜4を行っている企業はあって、特に中堅・大企業では見られるのだが、これだけ経済情勢が不安定な中にあって、改善によるコスト削減で事足りるとする日本企業ばかりではなかろうと思うが・・・具体的な企業名も挙げずに、単に日本企業は◯◯であると言われても説得力に欠ける。

 

とはいえ、アプローチ1〜4のまとめは素直に面白いし、以降連綿と続く生産性向上の具体的事例は自身の働き方を考える上で、参考になる部分はあるはずである。もう既に採用して取り組んでいるという読者には今更感は否めなかろうが。例えば、会議の時間短縮をすることが目標になってしまって、生産的な会議のあり方を問わないとか、同じように残業削減をすることが目標になってしまって、成果の達成度を問わないとか、そういったことをついついやってしまっていた読者には、蒙を啓かれた気がするかもしれない。ビジネスの現場にいる以上、たとえ定年間近であっても、遅いということはないので、もし本書でやっていることを未実施の読者は、本書を読んで直ぐ実行!である。

 

本書が今ひとつ面白く思えないのは、論理性に偏りすぎているという点である。論理性のみならず人間の感覚とか感情とかいったものも組織の生産性向上には重要な項目である。私も仕事で、組織風土改革の支援をしていると、単に論理性のみでは組織風土が活性化することはないということを実体験している。改善・革新の論理的思考のみでは、じっくりと内省して、事象の中の問題とは何か・・・そもそも問題はあるのかと思考を深化させていくことで、生まれてくる問題の発見・解決策などは見えてこない(ちょっとアクションラーニング的であるが)。そういった人間の感覚・感情といったことに本書がもう少し触れていれば☆3つでも良い。

【書評】 鍵・瘋癲老人日記 著者:谷崎潤一郎 評価☆☆☆☆★ (日本)

 

鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)

鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)

 

 

谷崎潤一郎晩年の作品『鍵』と『瘋癲老人日記』の2編を収める。『鍵』は初老の、『瘋癲』は老人の性欲に対する執着を描いている。谷崎は、『蓼食う虫』あたりを境に伝統的な日本的美学に傾倒してきたが、老年に至って再び過去の作風を取り戻したかのようだ。それほどまでに男の性的嗜好の表出が露わである。この2編は中公文庫の『潤一郎ラビリンス』の1編に収められてもおかしくないほどに官能的で、かつ醜悪的である。この2編では、どちらかというと『鍵』の方をより好む。

少し点数は甘く評価は☆4つとした。同じ☆4つでも著者の『蓼食う虫』よりは明らかに劣る作品集なのだが、私は谷崎の初期短編を好むものであり、本作品集を読んでみて、老年に入っても尚、かくも性的嗜好を惜しげも無く披露する男=谷崎の醜悪に対しては、滑稽を感じつつも愛着を表明せざるを得ない。

 

 

『鍵』の主人公は2人いる。56歳で大学教授の夫と、45歳の妻・郁子である。小説はこの2人の日記という形式を借りて綴られる。日記は、自分のために書かれる文章だが、この小説では「相手がそれを見ること」を前提として書かれている。そのために往復書簡のような体裁にも似ていて、夫の日記→妻の日記という風に時系列的に物語は進んでいく。

 

『鍵』はしかし、その「夫の日記→妻の日記」というような時系列的な物語という構成を、夫の死の真相を物語る妻の最後の日記によって覆す。『鍵』の本文中にも記されている『悪魔のような女』さながらのどんでん返しを見せる訳である。『鍵』は、夫と妻の日記による物語で、その形式自体がミステリアスである。「相手がそれを見ること」を前提として書かれたと私は言ったが、それは日記の書き手がそう言っているだけであって、本当に見ているか否かは、最後になるまで分からない。妻の最後の日記で、妻・郁子が、夫が日記で妻がこの日記を見ているに違いないと言った時よりも遥か以前から、夫の日記を盗み読みしていたことが知られるのだが、そこに至るまでは、「相手がそれを見ること」を前提として書かれながらも、「あなたは私の日記を見ただろう」と指摘できないがゆえの焦燥、不安、もどかしさなどが本作には投影されている。それは、夫も妻も同じく感じる心理である。ただ、妻の方が上手であったことが最後の日記で明らかになるのである。やや通俗的な結末ではあるが、これはこれで良い。純粋に芸術作として読むよりも、エロティックな描写が随所に散見されるミステリーとして読む方が『鍵』という作品には、しっくりくる。

 

郁子は極めてエロティックな人妻で、谷崎潤一郎の小説の中でも特に官能性を刺激される女性である。郁子は貞淑な女性で、男は、夫以外には知らない女性なのである。娘からも貞女の鑑のように思われているくらいだが、彼女が夫の誘いにより徐々にその肉体の淫蕩さを醸し出してくるところが好色的に描かれている。私は電車でカバーをつけながら本書を読んでいたのだが、少し興奮してしまったほどである。谷崎もそれ(読者の性的興奮)を狙っていたはずで、なまめかしい郁子の妖艶な美が陰湿に描かれていく。さすがに、当時の国会で問題になるとまでは想定していなかったかもしれないが。

 

夫も郁子に対して相当に変態的で、彼女が泥酔している隙に、彼女の裸体を仔細に眺めたり、ポラロイドに撮っていたりする。郁子は性欲が非常に強く、夫は彼女の性欲を満足させてやれないのだが、彼女のなまめかしい美しさには誰よりもよく気付いていて、彼女はその言葉により自分の魅力に気付いていく。まあこういう男からの手招きにより女が性的な魅力を増していく、という物語の設定は『痴人の愛』の譲治とナオミの関係と何ら変わらないのだが(苦笑)、それでも郁子が貞淑な人妻であったのに、夫のせいで淫蕩になり、そして夫が性的に弱いことを尻目に彼の嫉妬心をうまく煽って、自分は愛人と不倫するところまで「上り」つめてしまうというのは、『鍵』独特のエロティシズムの成長で、『鍵』は郁子という、妖艶な女性ばかりを描いてきた谷崎作品の中でも、特に猥褻的で、肉感的な女性像である。

 

 

『瘋癲老人日記』は、颯子(さつこ)という『痴人の愛』のナオミを彷彿とさせるような女性に、75歳を過ぎた彼女の義父が日記を通じて連綿と彼女に対する”思慕”を訴求する作品だ。ただしその思慕は、谷崎の初期作品、例えば『お才と巳之介』の巳之介流の盲目的で自虐的な思慕で、端から見るとその様は極めて醜悪である。後期の『春琴抄』の佐吉も春琴に対して同様の思慕を表すが、これは醜悪ではなく、理念的な美への憧憬を描いていて、『お才と巳之介』、そして『瘋癲老人日記』とは違うのである。

 

颯子は老人の息子である浄吉の妻で、ファッションやボクシング、そして映画が大好きな現代的な女性である。颯子はあまり程度の良くない女性で、金遣いが荒く、老人が彼女に執着しているのだが、かくも思い入れている理由が分かりづらい。颯子は、タイプ的には『痴人の愛』のナオミ的ではあるが、ナオミほど魅力的には書かれていない。彼女には、晴久という男と愛人関係にあるらしいが、詳細は語られない。浄吉は晴久と颯子との関係は黙認していているが、それは彼にも外に愛人があるからである。夫婦の間にはもはや愛情はないが、ほとんど体裁のために婚姻関係を解消しないでいるようだ。『蓼食う虫』とほとんど同じ夫婦関係が描かれている訳だが、松子夫人という存在がありながらも、谷崎は夫婦の双方向の愛には諦念を抱いていたのだろうか。

 

物語は日記の体裁を借りて語られているが、漢字以外の部分は、ひらがなではなくカタカナを用いて書かれているので、読みにくいことこの上ない。日記という極めて個人的な文章を、カタカナで書くことで、その秘密性を強調しようとしているのだろうが、どうしても読みにくい。カタカナで書かなくても、日記を用いることで既に秘密性は担保されているのだから、敢えてカタカナを用いる必要はなかった。この文体を採用したのは明らかに失敗である。『鍵』も夫の日記はカタカナなのだが、妻の日記はひらがなだから、まだ読みにくさが半減されていていたが、『瘋癲老人日記』の場合はほとんど老人の日記による構成となっているので、ただひたすら読みにくい文章を読まされることとなる。

 

 

【映画レビュー】 GO 評価☆☆☆★★ (2001年 日本)

 

GO [DVD]

GO [DVD]

 

 妻がAmazonプライムの会員なので、定額で、映画を際限なくテレビやタブレットなどで観ることが出来る。私はPS4からAmazonに繋いで、TVで映画を観る(TVにもAmazonのアプリがあるのだが、ゲームやりたさにPS4から繋いでいる訳である)が、ネット接続の調子が悪い時を除けば、快適に観ることが出来るので、重宝している。映画のタイトル数は多くないが、ラインナップは通り一遍のものではなく、大作映画はもちろんあるし、マイナーな映画も中にはある。洋画に留まらず邦画もある。私はたけしの映画を除けば、邦画が好きではない方だが、時々は観る。だいたい落胆することが多いが。

そういう場合は過去に観て面白かったと感じた作品を再度観ることになるだろう。『GO』はその”系統”の映画である。2001年公開なので、私の青春時代の一作だ。また、窪塚洋介出世作ということもあって、Amazonプライムにリストアップされた作品中に見つけた時は、いつか観たいものだと思っていた。

 

この映画を観るのは10数年振りとなる。色あせたセピア色のように少し恥じらいをもって見せられる部分もあったが、充分に鑑賞に耐えられる作品である。主演の窪塚洋介は、最近の邦画出演やスコセッシの映画『沈黙』出演時と比べるなら演技力に物足りなさを感じるが、『GO』の主演も悪くなく、ということは、ここ数年の彼の演技力がいかに卓越したものに到達したかがうかがわれる。ただ、『GO』のハングルの発音はかなり日本的な淡白な発音で、この人、本当に(民族学校に通学する)在日なのか?という感じを与えたのは残念だった。

 

窪塚が演じる杉浦は、在日韓国人元朝鮮人だが韓国に帰化した)として、鬱屈してあり余る力を外に向かって放出しようかしまいかと、逡巡している役である。喧嘩が滅法強く、向かってくる強敵を次々に葬り、納得出来ないことには強く言葉で反発するような攻撃性を持ちながらも、落語を聞いたりシェイクスピアを読むなど内省的な面を併せ持つ。窪塚はこういう、外的にエネルギーを発散しつつ、内面をじっくりと深める複雑な役を演じることに長けている。

杉浦の両親は、北朝鮮人であり、ハワイに行きたいという奇妙な理由から国籍を韓国人に変えていた。そんな両親を親しみながらも冷笑的に見ているところがあり、自分はどうあるべきか?自分とは何だろうか?と常にアイデンティティのあり方を思索している。

 

杉浦の恋人は桜井という女子高生で、若き柴咲コウが演じている。最近の柴咲は綺麗だと思うが、若い頃の彼女はどこにでもいそうな無個性的な感じであまり良くない。まだどういう風に演技すべきかということが分かっていないように思える。

 

物語は、在日韓国人としての杉浦のアイデンティティを模索する内容である。ありきたりといえばありきたりで、真新しいものではない。少年がアイデンティティ追求をするのは当たり前であって、そこに、「在日韓国人」であることや、「在日から見た日本との関係」などの事例が少し独特に見えること、更に、スピード感あふれる演出、そして杉浦という少年の、鬱屈してあり余る力を外に向かって放出しようかしまいかと、逡巡している役柄を体現した窪塚洋介の演技力があいまって、面白いものになってはいる。やや喜劇風のセリフや、キャラクターの設定も物語をシリアスになり過ぎないように仕立ててはいる。だがまあ、上辺を飾り立てているに過ぎないと言えば、確かにそういう感じがする。軽快な演出やリズムで観る者の関心を引き寄せ、アイデンティティや在日などの真摯な問題へ触る手はずを整えたという印象は拭えない。

 

そうはいっても、逡巡する杉浦が最後、「俺は何人なんだ!」と叫ぶシーンは、これまでの鬱屈した心情が爆発する良い場面である。あまり肩肘を張らずに、軽快でちょっとだけシリアスな青春映画として観る分には良いのだろう。

 

 

脚本のクドカンのおかげなのか、キャラクターは非常に良かった。

窪塚や柴咲については上記の通りだが、脇役で坊主頭の新井浩文が出ている他、先輩役で山本太郎も出演。山本は、私には「たけしの元気が出るTV」のメロリンQのイメージが強かったが、本作の演技は力強く存在感があって良い。新井は、2001年というこんな昔から凄まじい存在感であることが分かるが、あの眼力を見せられたら教師だって怖がってしまうだろうと思う。新井が演じたのは杉浦と同学年の在日朝鮮人だが、朝鮮語よりも、日本語の方が感じが出るということをしきりに言っていて、特に生理現象を口語で言う際に日本語の方が感じが出ると言う。民族学校に通う在日朝鮮人という、特殊な環境にいるからこそ現れる、興味深いこだわりである。『GO』の原作者が在日だから気付く点かと思いもする。良いシーンである。私が贔屓にしている新井が演じているからというのもあるが(笑)

 

その他、タクシーの運転手役で田中哲司大杉漣暴力団の部下役で津田寛治などが出ている。杉浦の友人の加藤役は、最近、神田さやかの夫として俄かに脚光を浴びた村田充が演じていたが、『GO』では暴力団の組長を父に持つ高校生役でそれなりに特徴的だったのに、その後鳴かず飛ばずとなってしまったのがもったいない。背の高いいしだ壱成みたいである。

母役で大竹しのぶが出ている。私は大竹のいつも通りの演技が好きではないので、今回も評価出来なかった。

 

***

 

どうでもいいが、窪塚洋介は若い頃よりも今の方がずっとかっこいい。私と同世代で、彼の方が少し上だが、それにしても30代後半になって魅力が損なわれることなく、むしろ熟していく彼の姿を、銀幕でもっともっと観ていきたいと思う(『アリーキャット』はDVDで観るが)。

 

【書評】 A&R優秀人材の囲い込み戦略 著者:ウイリアム・マーサー社 評価☆☆☆★★ (日本)

 

A&R優秀人材の囲い込み戦略

A&R優秀人材の囲い込み戦略

 

 

国際的な人事系コンサルティング会社・ウイリアム・マーサー(現:マーサー・ヒューマン・リソースコンサルティング)のコンサルタントによるA&R戦略が書かれた本。マーサーの本拠地はニューヨークで日本法人も40年近く前からある。コンピテンシーを日本に最初に紹介した企業らしい。執筆陣の一人には舞田竜宣(現:HRビジネスパートナー株式会社社長、グロービス経営大学院教授)の名があった。

尚、外資系企業のコンサルが執筆した書といっても、事例となっているのは日本企業が多いので、横文字は多いものの、噛み砕いて書かれているので、分かり易い内容である。

 

A&RとはAttraction(人材の引き寄せ)&Retention(人材の引き留め)のことである。タイトルに「優秀人材」とある通り、A&Rの対象は優秀人材である。優秀な人材をいかに引き寄せられるか(入社させられるか)、引き留められるか(離職させないか)の戦略が惜しみなく披露されている。本書が発表されたのが2001年とそれなりに古く、凡庸で新規性を失っている部分も見受けられるのが惜しいけれども、A&R戦略のエッセンスは現在でも十分に活用出来る。

 

A&R戦略は相手が企業と人材であるだけに、多様な戦略が求められ、これをすれば上手くいくというような魔法の杖のようなものではない。企業、組織文化、人事制度、そして社員によって必要な解決策が異なるのである。企業の数だけ戦略が異なるといっても良いだろう。そのために本書の対策は複眼的な様相を呈しているので、読者はその中から、自社に合った戦略を選びとっていくことになる。まあ回答が一つでないことによって、本書は一見複雑さを感じさせもしようが、それは人材という生き物を対象にしているのだから、その複数の葉の中から自社に合ったものを選択していくのは当然のことである。

 

ひとくちに優秀人材とはいっても、企業には多様な人材がいるのであり、本書は人材を4種に分ける。この切り口はA&R戦略の要である。

まず、コア人材だ。これは長期的に組織のリーダーシップをとる人材と定義される。こういう人材は労働市場でも高値で売れてしまうのと、人材開発に要する期間が長期間かかるので、企業においては、最も離職されては困る人材である。

次に、職人である。個人的な専門知識や技能を活かし、事業の最前線などで活躍する人材である。

そして、世話人である。組織文化への深い理解と社内の人間関係から組織の潤滑剤となる人材である。

最後が、ポテンシャルである。専門知識も組織内での位置も未だ開発中の人材である。

 

この4種の人材の切り口を、マーサー社は、A&Rヒューマン・キャピタル・ポートフォリオとして設計した。

PPM分析のようなポートフォリオの図式を用いて、横軸に人材獲得コスト、縦軸に人材開発に要する期間を置く。そして、先のコア人材であれば、人材獲得コストも高く、人材開発に要する期間も長い。したがって、一度離職されてしまうと、採用も容易ではないし、いざ採用したところで即戦力として活躍できるとは限らないので長く成長させていく必要が出てくる。コア人材は、離職させてはならない人材として優先順位が高いと言えるゆえんであろう。

 

職人は、人材獲得コストは高いが、専門知識を活かして直ぐに活躍できるので、人材開発期間は短期で済む。世話人は、人材獲得コストは低いものの、組織文化に対する深い理解があるため、人材開発に要する期間は長期である。ポテンシャルは、人材獲得コストも低いし、人材開発に要する期間も短期である。

 

このように考えると、コア人材と、ポテンシャルとは、同じ目線でA&R戦略を立ててはならないことが分かる。ポテンシャルは優先順位が低いけれども、流出しても構わないというのではない。いずれ世話人や、コア人材に成長する可能性もあるからである。このように具体的かつ細密な戦略を採る必要があることが分かるだろう。

 

 

本書では、4つのステップに分けて、A&R戦略を組み立てる。人材ポートフォリオは、いわばステップ0の段階で、全ての前提である。

ステップ1で「問題の定量」を図り、2では「人材確保難の根本原因の分析」を行い、3で「A&R施策の立案・導入」を行う。施策を導入しても効果を測定しなければならないので、ステップ4として「測定・モニタリング」を行ってようやくクローズされる。

こういったA&R戦略のコンセプトが非常に明快で、読者には、わが社でも導入すれば上手くいくかも・・・という考えを植え付けることが出来よう。人事の専門家がいるそれなりの企業であれば、相当に根気がいる仕事だが、一見すると、自前でも出来る内容だと錯覚させられる(マーサーに頼んだ方が効果は上げられるに違いないが、それほどに明快なのである)。

 

 

本書のデータによると、「現金報酬」や「福利厚生」を高めるリテンション(引き留め)戦略を採っても、有効か否かは分からないらしい。著者の友人に外資系証券会社に勤めるアナリストがいるそうだが、2億円のオファーを断ってでも現在の会社にいることを望んだという。そのアナリストは数千万円の年収だったので、破格の条件である。しかし「2億円も出さないと人が採れないのだ」と考えて断ったのである。後日、そのアナリストがうわさで聞いたのは、2億円のオファーを受けて入社した者がたった半年で退職したということだった。

本書にも書いてあるが、ハーズバーグの「動機づけー衛生理論」を裏付けるかのような内容で面白い。やはり金だけでは人は長く組織にいつづけることは出来ないものである。「仕事そのものの面白さ」「達成感」などが動機づけとしては重要なのである。

 

 

 第II部のステップ3は「A&R施策の立案・導入」の説明で、膨大な事例の紹介に紙幅を割いており、読み応えがある。企業文化における5社のエピソードは実に多様で、私自身も企業文化再構築の支援をしているので、参考になった。バイオベンチャーJ社の例などは、臨場感にあふれ、かつ、具体的な問題と解決が一体となって披露されていたと思う。

 

とはいっても、インターンシップだの多面評価だの、その他の福利厚生の数々はもはや紹介するまでもない訳で、凡庸な用語の紹介に留まっているので、どうしても評価が下がってしまう。もはや「わが社のリテンション戦略ってどうしよう?」と考えた時に、インターネットで検索できてしまうレベルだ。本書の発表時期を考えると、仕方ないのか。