好きなものと、嫌いなもの

書評・映画レビューが中心のこだわりが強いブログです

最近ハマっている曲

最近YouTubeでよく聞いている曲。
カーリー・レイ・ジェプセンは、かわいい中に鋭さがあって好き。

■Cut To The Feeling(カーリー・レイ・ジェプセン


Carly Rae Jepsen - Cut To The Feeling (Lyric Video)

■Call Me Maybe(カーリー・レイ・ジェプセン


Carly Rae Jepsen - Call Me Maybe

■I Really Like You(カーリー・レイ・ジェプセン


Carly Rae Jepsen - I Really Like You


■On The Floor(ジェニファー・ロペス


‪Jennifer Lopez - On The Floor - Lyrics‬

【映画レビュー】 クリーピー・偽りの隣人 評価☆☆★★★(2016年 日本)

クリーピー 偽りの隣人[Blu-ray]

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黒沢清のプロフィール

黒沢清監督は1955年生まれの映画監督。カンヌ国際映画祭を初めとして多くの映画祭での受賞歴がある。カンヌのコンペディション部門では、2001年に『回路』で国際批評家連盟賞を受賞している。ある視点部門では『トウキョウソナタ』『岸辺の旅』などで受賞。代表作に『CURE』『回路』『アカルイミライ』『トウキョウソナタ』がある。
黒沢清立教大学出身で、蓮實重彦の講義を聴講。

私が好きな黒沢作品は『CURE』。

無能な警察

冒頭からしておかしいのだが、主人公の高倉刑事が刑務所にいる容疑者を脱走させたり、容疑者の説得に失敗して体を刺されたりしている。他にも、失踪事件の関係者の家を野上刑事が捜索する場面があるが、野上が捜索して初めて人間の遺体が発見されている。野上以前の警察は何をしていたのか?日本のダメな警察を描こうとしているのか分からないが、ここまで無能さを描く必要があるのだろうか。

ずさんな心理描写

高倉は刑事を退職して大学の教員に転身し、引っ越しをする。すると隣人の西野の様子がおかしいことに気付く。最初に隣人のおかしさに気付いたのは妻の康子である。だが康子は理由なく西野に近付いてしまう。元刑事の妻たるものが、不審な隣人に容易に近付くことがあろうか。しかも不審感を抱きつつ近付くということが?

西野は康子をはじめ、多くの人間の心を自分の意のままに操ることが出来るのだが、その理由はなんと薬。心を操れる薬を注射していたのだ。そんな薬を一体どこで、誰が開発したのか?まるでSFのような世界観の設定である。よくもこんな間抜けな設定にしたものだが、国際映画祭で賞を何度か受賞した監督には、他者からは何も言えないのだろうか?

カルト宗教、ネットワークビジネス、アダルトビデオ(強要問題)などは、人間の欲望を巧みに操ることで成り立っている側面がある。カルトなら、「救われたい」という欲望、ネットワークなら、「金を儲けたい」という欲望、AV強要なら、「芸能界に出たい」という欲望を巧みに操りアリ地獄のように人間を引きずり込む。

西野も薬ではなく人間の欲望を操っていたのなら、面白いと思うのだが、SF的な薬の投与による操縦となると、二の句が継げなくなる。

音楽と謎の部屋は良かった

まともな要素がない訳ではなくて、不気味な音楽は良かったと思う。西野の自宅に作られた謎の部屋もグロテスクで素晴らしかった。まあ、なんでこんなものを作れたのか?という疑問は残るのだが…西野は割と住所を転々としているようだし…まあこの映画に細かな点を指摘しても仕方がないのか。

日本映画の現役の監督で、作品に安定感があるのは北野武くらいではないのか。黒沢清の映画は割と観ている方だが『CURE』以外は感心しない。『岸辺の旅』なんていうのも、浅野忠信が主演しているから観てみたが、今ひとつだった。『凶悪』の白石和彌には多少期待しているが…黒沢清はつまらない。

【書評】 キッズファイヤー・ドットコム 著者:海猫沢めろん 評価☆★★★★ (日本)

キッズファイヤー・ドットコム

キッズファイヤー・ドットコム


何となく面白そうなストーリーなのだが、最初で挫折してしまった。文章が退屈で文字を追う気になれなかった。映像で見られればまだ良かったのかもしれないが・・・

チャット小説ぽちに載った

ぽちに私のチャット小説が載った

 私の初のチャット小説『えりかの恋人』が、「ぽち」というチャット小説アプリに載った。ジャンルはホラー。

直ぐに読めるものなので、興味のある人はアプリをインストールして読んでみて欲しい。

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チャット小説とは?

チャット小説とは、LINEやSNOWなどのSNSのように、メッセージのやり取りのみで、物語を描いていく小説のジャンルである。地の文はないから、小説というよりもむしろ「会話劇」のような、あるいは「脚本」のようなものに近い。ガラケー時代に流行ったケータイ小説の現代版だろうか。

 

恋空〈上〉―切ナイ恋物語

恋空〈上〉―切ナイ恋物語

 
恋空〈下〉―切ナイ恋物語

恋空〈下〉―切ナイ恋物語

 

 

 

チャット小説は、台詞をタップしていくと物語がどんどん進行していく仕組みである。小説のようにじっくりと読む必要がなく、漫然と、暇つぶしとして肩肘を張らずに読めるのが良い。

 

私は小説なら何度も書いたが、会話だけで物語を書くという体験は初めてで、少し書くのに苦労した。しかし物語の流れ・構成を考えてから書くとすんなり書ける。チャット=おしゃべりなので、堅い文にする必要がないのも書きやすい点だ。

 

チャット小説アプリにはどんなものがある? 

 

チャット小説アプリには、「ぽち」の他に「TELLER」「HOOKED」そして「Ballon」などたくさんある。今回は4つのアプリを紹介する。すべて小説を投稿することが可能である。

 

TELLER 

itunes.apple.com

 

 「TELLER」は、「2分で読めること」「たった2分で展開する劇的なストーリー」が売り。アメリカのアプリ。ホラーの他に、恋愛もある。

 

電話通知などの演出が怖い・・・

 

Android版はない模様。

 

HOOKED

 

HOOKED - Chat Stories

HOOKED - Chat Stories

  • Telepathic, Inc.
  • ブック
  • 無料

itunes.apple.com

 

これもアメリカ初のチャット小説。ホラーが中心で、複数人で共同創作が可能だ。外国人作家が多く翻訳文が読みにくい。

 

Ballon

 

itunes.apple.com

 

Ballonは日本のアプリ。「2分で読める」とか、直ぐに読めることがチャット小説売りだが、Ballonはそれを逆手に取って連載型もある。

 

「TELLER」「HOOKED」と違って、恋愛が多いのが魅力。ホラーやミステリもある。

 

Android版はない模様。

 

pixiv chatstory

 

app-liv.jp

 

お題に合わせて投稿できるのが特徴。1から物語の方向性を考えなくても良い。Android版はない模様。

 

【書評】 海辺のカフカ 著者:村上春樹 評価☆☆☆★★ (日本)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)


海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

ファンタジー小説海辺のカフカ

 

海辺のカフカ』は純文学として読むと退屈だが、ファンタジー小説として読めば標準程度の評価を与えることができる。

意味深長で衒学的なセリフ、多数の著名な作家・哲学者らへの言及、隠喩がふんだんに多用された世界観などにより、どこか深遠な物語がそこに繰り広げられているように見える。しかしそれは錯覚で、本書は一人の少年の自分勝手な妄想を描いたファンタジー小説なのである。

私は彼の作品の熱心な読者ではないが、『海辺のカフカ』を読む限りこの作品は純文学ではなく、ファンタジーである。純文学だと思うから『海辺のカフカ』は退屈な小説だと思ってしまうが、ファンタジー小説と思えば標準の評価を与えることができよう。純文学なら☆1つの駄作だ。


陳腐な設定もファンタジーなら気にならない

 

海辺のカフカ』は陳腐な設定が多い。

■主人公の名前が田村カフカである。この名前を、著者が真面目なトーンで貫こうとしていること。一切の皮肉が込められていないこと。
そして、この間抜けな名前に対して、誰もからかうことがない。また、カフカ少年がなぜ四国の高松を目指すのか、説明がない。

■佐伯という女性が初めて発売した曲がミリオンセラーとなり、都合よく、その印税で暮らしている。その曲名が『海辺のカフカ』で本書のタイトルにもなっているが、歌詞は幻想的でおよそ日本でミリオンセラーになるとは到底考えられない歌詞である。

■さくらという美容師がカフカ少年を家に泊め、少年を布団に入れてやる。少年は勃起する。するとさくらが手淫をしてあげるのである。さくらには東京に彼氏がいるという。彼氏持ちの女が手淫をすることもあろうが、見知らぬ少年を家に泊めること自体が不思議だし、布団に入れて手淫まですることが非現実的である。さくらという美容師をわいせつ罪で訴えてもいいのだが、私のこの提案に賛成する者がいたら教えて欲しい。

■女性は「私とセックスしたい?」などと軽々しく男に言うことは考え難い。もちろんセックスしたくてしょうがない感覚に陥っていればそう言うこともあるだろうが。
それは恥じらいだけではなく、自分を防御するためでもある。どうしたってセックスでは、女性は「受容的」にならざるを得ないからだ。女性が上に乗れば男性より肯定的になっているかに見えるが、この体位でも受容的といえよう。詳しい説明は想像してくれ。

もちろん、相手が気心の知れた相手であれば別である。しかしこのセリフは、カフカ少年に向けられたものである。しかも、それを発するのは50過ぎの女性・佐伯である。少年と同世代でまだ社会性が発達していない少女の言葉ではない(少女でもなかなか言えないセリフであるが)。男なら「セックスしてえなあ」とか「エッチさせてくれねえかな」とか、バカの一つ覚えみたいに女性を前にしても吐くことはあろうが、女性が「セックスしたい?」というのは相手の男と心理的な距離を縮めていないと吐けないセリフだ。しかし著者は、田村カフカ少年という、佐伯から心を許されていない者に対して「セックスしたい?」と言わせる。佐伯は娼婦なのか。

とまあ、並べればきりがないくらいに陳腐な設定があるが、これらもひとえに、本書が純文学だと思うからこそ起こる問題である。本書はファンタジーだと認識すれば問題にすらならない。陳腐はむしろ、当然である。

さて、カフカ少年は村上春樹の自画像なのだろうか?村上の書く小説には本書に限らず、やたらモテる男が出てくるが、村上春樹本人は、写真を見ると醜男でモテそうに見えない。村上春樹のコンプレックスが小説に現れているのかもしれない。『海辺のカフカ』には恋愛心理が無造作にしか描かれていないのだが、村上は恋愛をしたことがあるのだろうか・・・

カフカ少年が惚れる佐伯との恋愛の交流が全くなく、カフカ少年が恋をしたといくら言っても、それは妄想の中のことだし、なにゆえ好きになったのかの描写がないので、なぜ佐伯を愛したのか分からない。


オイディプス神話としての『海辺のカフカ

 

海辺のカフカ』の恋愛は、ギリシア神話オイディプスを素直に真似て描かれている。父を殺して母と交わるという、オイディプスコンプレックスの語源となった神話である。

もっとも、物語の登場人物たちの関係性を通じて、これはオイディプス神話を下敷きにしているのか?と、読者に「思わせる」のではなく、直接的に語ってしまうところがかっこ悪い。

>>
僕は言う。「お前はいつかその手で父親を殺し、いつか母親と交わることになるって」
<<

こんなセリフを真面目に書いてしまうところが、村上春樹のダサいところなのである。だが『海辺のカフカ』はファンタジーなのだ。そう思えばこのみっともなさも気になるまい。


すべて自己の守備範囲

 

村上春樹はアメリカのロックミュージックや、クラシック音楽が大好きなのであろう。本書の登場人物はこれらの音楽を聴き、語るから容易に想像がつく。しかし、猫も杓子もこれらの音楽が好きでなくても良かっただろうに。トラックドライバーのホシノ青年までがベートーヴェンを好きになってしまうのは恐れ入る。そこまでして著者は、登場人物に自己の守備範囲の思想を押し付けたいのか。村上春樹本人にとっての異分子は、本書では生きながらえることが許されないのだろうか。モーニング娘浜崎あゆみが好きな人物は現れないのだろうか。

私は、ホシノ青年が登場した時、ようやくまともな人物が本書にも現れたと思って多少嬉しかったものだが、結局、ベートーヴェンを好きになってしまうのを見ると、ばかばかしくなった。「やれやれ」とでもつぶやきたくなるほどである。結句は、『海辺のカフカ』は、村上春樹の妄想の産物なのであろう。暴力を振るい、およそ知的とは縁遠いジョニー・ウォーカー氏が早々に、ナカタによって殺されてしまうのは、村上の妄想の邪魔になるからではないかと、邪推したくなるくらいだ。


ナカタの物語は悪くなかった

 

本書はカフカ少年とナカタとの物語が交互に語られる体裁を取っている。もう一人の主人公といってもいいナカタは、60代のおじさんで、猫と話ができたり蛭やアジを降らせたりすることができる。蛭やアジを降らせる描写は映画『マグノリア』のラストシーン(マグノリアでは蛙が降ってくる)を思わせる描写だが、村上春樹はこの映画を参考にしていることだろう。

ナカタは東京都中野区に住んでいて、なにかに導かれるように四国の高松へと向かっていく。道中でヒッチハイクをして複数の人間に助けてもらうが、ホシノ青年は最後までナカタの旅に同伴する。文字通りナカタの”最期”まで付き合うことになるのだ。

このナカタの物語も非現実的な物語でありながら、描写や設定にもそう無駄がない。私が上記の「陳腐な設定もファンタジーなら気にならない」で書いた陳腐な設定なるものは、全てカフカ少年の物語の設定なのである。ナカタの物語については、陳腐な設定として、私は言及しなかったのだ。ナカタと自称するナカタは、誰に対しても敬語を用い、猫と会話できる。カフカ少年の父ジョニー・ウォーカーを殺害してからは、猫と会話できなくなってしまう。

また、カフカ少年とナカタの物語とが交互に語られる物語の体裁は、スリリングで推理小説のようである。

ナカタは知的障害を負っている。そして、その原因は大東亜戦争中に求められる。ナカタが知的障害を負ったのは戦争のせいである。ジョニー・ウォーカーにいざなわれるままに、ジョニー・ウォーカーを殺害するが、その暴力性も知的障害であると考えられ、その障害の原因が戦争だから、戦争がジョニー・ウォーカー殺害に展開されたとも言えるだろう(遠因としてであるが)。カフカ少年の物語には旧日本軍の幻影も出てくる。直接的な暴力性は帯びないながらも、不穏な影をまとっている。本書にとって大東亜戦争は暴力の象徴であろう。