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【映画レビュー】 キング・アーサー 評価☆☆☆☆★ (2017年 米国、英国他)


CM Nike [Take It To The Next Level].avi

 

Rotten Tomatoesで支持率わずか28%の低評価(2017.6.20時点)を受けたガイ・リッチー監督の新作『キング・アーサー』を劇場で観た。ちなみにリッチー監督の代表作『シャーロック・ホームズ』シリーズのRTでの評価は、初代70%、シャドウゲーム60%なので、『キング・アーサー』のそれは、相当な低評価である。

www.rottentomatoes.com

 

しかし私の評価は、本記事のタイトルを見てもらえれば分かる通り高評価だ。私はリッチーの初期の犯罪群像劇『ロック、ストック』や『スナッチ』における計画的な物語も好むが、『シャーロック・ホームズ』のように怒涛の展開を見せる直線的な物語も好きである。しかしリッチーの前作『コードネームUNCLE』のごとき落ち着いた映画は得意ではない。だから今回の映画はどの作品と似ているのか待ち遠しく、あるいは不安を感じながら鑑賞した。

 

そしたらどこの作品にも似ていないではないか。いや、そうではない。似ているといえば『シャーロック・ホームズ』に似てはいる。この限りなきスピーディな物語の進展は『ホームズ』だ。だが、どうもしっくりこない。それよりももっと似ている作品があるのではないか。

 

それがYouTubeの動画として掲げた「Take it To The Next Level」である。ナイキのCMに使われた動画で、YouTubeに残っているのは2分間の動画だ。

 

これを見るとまさに『キング・アーサー』の縮小版といった向きである。CMはサッカー選手だが、物語の類似性ではなく「疾走」が似ているのである。もっとも、CMの物語も、クラブに所属して、悪戦苦闘を経て、一流のサッカー選手にまで上り詰める姿を描いているのだから、物語も『キング・アーサー』と似たところがないではない。だがもっとよく似ているところがその「疾走」なのである。

 

CMでは迸るロックミュージックを同伴者に、フィールドを疾走するサッカー選手の姿が描かれた。彼の姿は客観的には捉えられず、一人称視点でフィールドを走り抜く。カメラはどこまでも選手の足を追い、彼のシュートとゴールを捉え抜いている。そのケレン味たっぷりの演出は、サッカー選手のスピード感を徹底して追求することに捧げられていて、観る者を全く思考させることなく、ただその画面の動きと同時並行的に、足とボールの動きに合わせて全速力で駆け抜ける。サッカー選手にも紆余曲折があって、ただずっと選手として最高潮にいる訳ではなく、終盤ではフィールドに倒れ、もはやかつてのシュートの一撃が打てなくなるかのようだが、刹那的に立ち上がり、再びボールを蹴り上げる。

 

 『キング・アーサー』では、冒頭からこの「疾走」が描かれる。主人公アーサーは、叔父に父を殺された男として描かれる。といっても未だ幼く、父母の殺害シーンを目にするも記憶することもできないくらいだ(幼さは巧みに、アーサーの記憶の奥底に父母の殺害場面をそっとしまい込む。そうしなければアーサーは傷心のまま成長することになるが、そうなるとまともに大人になることはできないだろう)。そして青年に成長するまでの少年時代の葛藤と苦難と力の膨張を、躍動する弦楽器を同伴して疾風のように素早く描出する。その間、私は目の動きを縦横に動かさなければ物語の展開についていけないくらいだ。この成長の記録を、光の速さのように、さっさと描き抜く速さは、ガイ・リッチーのCMの「疾走」そのものなのだ。

 

キング・アーサー』は、「疾走」を冒頭の少年時代の光速的な動画と音楽のみの説明から開始し、以後、その流れは終盤まで延々と続いていく。少年時代の物語はこの映画の象徴で、躍動するロックアレンジの弦楽器とともにアーサーの疾走を描いていき、途中思考するために止まるけれども、ついには王の冠を手にするまでに至るのである。少年時代の素早い物語は、映像を観ているにもかかわらず、激しい音楽を聴いているかのような感覚を味わわせるのだが、この音楽のような感覚は、最後まで続いていく。いつまでも観ていたいような、あるいは聴いていたいような惑溺は、『キング・アーサー』の大きな価値である。

 

とはいえ、「新機軸のソードアクション」と銘打つほどに剣の捌きあいが独特でないのは惜しいところだが、ロンドンの街並みを全速力で走り抜けるアーサー一行の「疾走」は、その独特とはいえぬまでも十分に見られるレベルにある剣の戦闘の平凡さを、何とか許容しても良いほどに刺激的な動きを示しているのだ。

 

 

キング・アーサー』は、中世ヨーロッパ、それも英国の中世時代を描いているように見えて、全く歴史的な映画ではない。『シャーロック・ホームズ』が、原作があるとはいえ、リッチーの自在な解釈で暴力性と音楽性とが混合する独自のアクション映画へと昇華したように、本作も歴史的作品ではない(アーサー王が実在の人物かも不明だが)し、というよりも、だいぶファンタジー寄りの映画になっている。

 

それを知らずに観た私は怪物が何匹か出てきたり、聖剣エクスカリバーを手にしたアーサーが魔力を帯びて敵をなぎたおすのを観た時驚かされたが、事前の情報として、「ファンタジーアクション」であることは、宣伝しておいた方が良かったかもしれない。CMでは「スラムのガキから王になれ」だの「下克上エンターテインメント」だのといった宣伝文句ばかりで、人間同士のアクション映画かと思ったからだ。だがアーサーの仇敵となる叔父は、悪魔に魂を売った半身半獣のモンスターで、悪魔自身も姿を現しているし、そもそも冒頭から魔術師が出てきて巨大な象が蠢いているところからして、ファンタジーだ。

 

この叔父は、モンスターに変身すると骸骨のような仮面をまとうのだが、私が去年没頭したゲーム『ウィッチャー3』のワイルドハントそのもので、最後の戦闘シーンもワイルドハントとの最終決戦とよく似ている。ガイ・リッチー監督はゲームが好きなのかと邪推したくなるほどだ。別段それは構わないが、人間同士のアクション映画だと思って観たら、意外や、アクションファンタジーだと思って興醒めする観客がいるのかもしれない。

 

それでも私は存分に『キング・アーサー』を楽しめたのだが、その原因はしつこいようだがCMの「疾走」の感覚を最後まで貫き通したからだと思っている。

 

 

 

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