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【映画レビュー】 きみに読む物語 評価☆☆☆☆★ (2004年 米国)

 

きみに読む物語 スペシャル・プライス [Blu-ray]

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ライアン・ゴズリングレイチェル・マクアダムス主演のラブストーリー。監督はニック・カサヴェテスである。ニックは、父に映画監督のジョン・カサヴェテスを持つ。ジョンは、妻のジーナ・ローランズ主演で評価が高かった『グロリア』を監督した。そしてこの『きみに読む物語』にも、ジーナ・ローランズが出ている。

彼女は、ヒロインのアリーの老年期を演じているが、周囲を畏怖させるような強い存在感である。私にとってジーナ・ローランズは前述の『グロリア』のグロリア役で、少年を守る裏社会の女であった。その強烈な立ち振る舞いと、殺意に満ちた男どもを駆逐するマフィアのような雰囲気が強い印象を残したが、本作でも出演シーンは多くないものの、老いて尚、女性美の威厳を保持する佇まいは見事なものだ。

 

物語は1940年代の米国。肉体労働に勤しむ青年ノア(ゴズリング)は、17歳の少女アリー(マクアダムス)に一目惚れをする。アリーは富裕層の娘だが、互いに惹かれあい、熱烈に愛するようになる。しかし未だ旧弊な価値観が残る時代において、アリーの両親は二人の関係を裂こうとした。特に母親は手練手管を弄して、アリーを諦めさせようとするのである。アリーをノアから遠ざけるために、家族で引っ越してしまう。ノアはアリーに思いの丈を綴った手紙を1年間、365通郵送するが、ただの一度もアリーから返信はなかった。それは、アリーの母が手紙を全て隠してしまったからだが、それを知らないノアはアリーを諦め、別の地に行き、自分の人生を歩む。そしてアリーも、ノアから連絡がないものと誤解して、NYの大学に入り、彼女も自分の人生を歩む。その後第二次大戦が始まり、負傷兵の手当てをしていたアリーは、そこでロンという裕福な家の弁護士と出会い、恋愛をして婚約する。しかし、ロンとの恋愛に、ノアほどの強烈な愛を感じていなかったアリーは、ふとしたことで新聞記事にノアが写真に写っているのを見る。結婚を間近に控え、もう一度ノアに会って過去の清算をしようと思ったアリーだが、ノアに会って再び恋の炎が燃え上がり、365通の手紙を母から見せてもらうことによって、遂にロンの元を去ってノアを選び、ふたりは結婚する。

 

 

タイトルの「きみに読む物語」とは、年老いノアが妻アリーに読み聞かせるふたりの出会いから結婚までの物語だが、年老いたアリーはアルツハイマーにかかっており、自分がノアの妻であることも、ふたりに子供がいることも、出会いと別れと結婚についても、分かっていない。少し記憶が戻ることはあるが、すぐに病気が彼女の記憶を奪ってしまうのだ。ほんの僅かでも良いから、ノアはアリーの記憶を取り戻したいと思う。そのために彼は、ふたりの物語を読み聞かせる。

 

 

ノアとアリーの若い頃の物語はありふれた身分違いの恋愛だが、この映画では、そのエピソードを、アルツハイマーに罹患した妻の記憶を呼び戻すために使われているところが素晴らしい。ノアとアリーの身分違いの恋愛自体も悪くはないが、ややありきたりの物語で、特に、アリーがノアを選ぶ決断に比べると、ノアはアリーを選ぶための障害を乗り越えたようには見えないのが惜しい。ただ、現在に戻れば、懸命に読み聞かせを続けるという忍耐をし続けたのはノアなのだから、プラマイゼロなのか。

とはいえ、本作では夫が妻に読み聞かせる物語を用いて、妻の記憶を思い出させることに使われるところが独特だし、興味深い。それによって、いかに深い愛情であっても、記憶がなければ、愛情に繋がらないことを知らされる。そして読み聞かせは功を奏して、アリーは記憶と、そして夫への愛を思い出す。年老いて、記憶を取り戻したアリーは、「わたしたち一緒に死ねるかしら」とノアに聞くが、ふたりは手を繋ぎながら眠り、そして時同じくして死んでいくのだ。

 

アルツハイマーは治る病気ではないと、劇中で医師に言われ、それ自体は受け止めるノアだが、記憶が持続しないのであれば、一緒に死ねたら良いと思う。そうすれば、ふたりは記憶を持続したまま死んだことになるだろうから。愛し合った時をずっと保ったまま、死ねるだろうから。若い時分ではなく、もはや死を目の前にしている老夫婦にとって、死は若い夫婦に比べたらずっと近いものであるから、このまま死んでも良いが、せめて愛し合った時を思い出し、目の前の配偶者を愛しながら死にたい。ファンタジックで理想的過ぎる傾向はあるが、どれだけ深く夫婦が愛し合ったかを示すものとして、すっきりした終わり方だろう。ミヒャエル・ハネケの『愛、アムール』も、病気のために記憶を失い、ベッドに伏せる妻と、介護する夫の物語だが、夫は妻を殺害してしまうという悲惨な結末を迎えるので、『きみに読む物語』とはだいぶ違うのだが、私は、『きみに読む物語』を観ながら思い出していた。

 

 

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【書評】 美しい星 著者:三島由紀夫 評価☆★★★★ (日本)

美しい星 (新潮文庫)

美しい星 (新潮文庫)

三島由紀夫SF小説リリー・フランキー主演で映画化されているが、観に行ったりDVDで観たりすることはなさそうだ。それくらい退屈な小説。

三島らしい美の技巧を照らした文体はどこへやら、淡白で味気ない文章で、自らを宇宙人だと思い込む日本人家族の奇妙な生活が描かれる。文章の退屈さもさることながら、宇宙人だと思い込む日本人を描いている割にはエキセントリックな出来事は語られず、政治的小説の趣きも醸しだされるが、『宴のあと』の如きリアリティがなく、風刺的な描写があるのみで、前へ前へと読み進めることが難しい。三島にSFは書けないと痛感。

滝沢カレンは不条理

笑いのセンスに満ちた滝沢カレン

 

 

最近、テレビによく出ている滝沢カレンというモデルが気になって気になって、仕方がない・・・

テレビが嫌いなのに、つい彼女が出演していた番組をYouTube調べて、ちらっとでも見てしまう。私は彼女のファンになってしまったのだろうか・・・憂鬱

 

私が特に好きなのがこの動画で、グリコの工場に行った時のものだ。はなからクレイジーで、「グリコの社名の由来は何だと思いますか?」と社員に聞かれた滝沢は、「ん~なんかの頭文字だと思うんですよね」とちょっと考えた末に、「コ、コ・・・こんなにすごいよ」「リ、リ、リ・・・理解して欲しいな」「グ・・・愚問だよね」とのたまう始末。頭文字と言ったところまではマトモかと思ったが、まさかの逆から言う彼女の異常なセンスに私はノックダウンされてしまった。しかも、言っている言葉が面白い。特に「愚問だよね」は最高だ。ゲラゲラ笑ってしまい、衝撃の1回戦KOである。

 

滝沢カレン、工場見学&食レポに挑戦も珍コメント連発 「滝沢カレンのおとぼけレポート」

 

滝沢カレンの言葉のセンスに脱帽

 

 

その後滝沢は工場の中へと入っていき、明らかに人が働いているのに「無酸素」だと言ったり、ポッキーと紅茶を一緒に飲むとどういう味がするかと言われて、どちらも強烈な個性があることを踏まえて、「自己主張強めで埒が明かない」と言ったりする。特に後者は、その場を説明する言葉として「自己主張が強いですね」と言うだけで終われば良いものを、わざわざ「埒が明かない」という言葉で結んでみることで、面白味を与える。普段よく文章を読んでいるのではないか。

漢字の読み方が分からない番組をやっていたりするが、あれはどうなんだろうか。本当なのか。あれだけ語彙力があるのに漢字が読めないというのは嘘っぽい。片言みたいな言葉でしゃべらせる番組もあるが、つまらない。自由にしゃべらせて欲しい!

YouTubeの動画のコメントを見ても、「自由にしゃべらせた方が面白い」というコメントを見るけれど、私も同意だ。

 

美しい滝沢カレン(俺のハーフ好きを満たす)

 

 

そして何しろ、滝沢は非常な美人である。私はハーフ好きで、長谷川潤だとか水原希子だとかマギーだとか皆好きなのだが、特に滝沢は、段違いでかわいいと思う(美人の度合いからいったら長谷川が一番である)。あと、彼女はバレエを子どもの頃やっていたせいで、やたら姿勢が良い。モデルだから姿勢が良いのは当たり前かもしれないが、それでも彼女は姿勢が良い。すっと立っている。ふざけた言葉を吐きつつも品がある。

ああ・・・

もう、寝ても覚めても滝沢の動画を想像してしまうくらいに。

 

滝沢カレンは不条理

 

 

あまり女性タレントをここまで気になることはないのだが、彼女の気が狂ったような言語のセンスは堪らない。何だか蛭子能収つげ義春の漫画を読んでいるかのごとく狂っていて、不条理である。

【書評】 ミクロ経済学の第一歩 著者:安藤至大 評価☆☆☆☆★ (日本)

ミクロ経済学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

ミクロ経済学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

出張中の新幹線の中で読むために、ミクロ経済学の教科書を探していたら本書に行き当たった。別にミクロ経済学の復習をしたかった訳ではなく、新幹線内で手持ち無沙汰なので読んだだけだが、これがなかなか面白かった。

実例が豊富で、理解を深めながら次々と読めてしまう。新幹線「東京→大阪間」の往復と、ホテルの空き時間で読んでみた。本書は、大学で初めてミクロを学ぶ学部生向けに書かれているが、数学がほとんど使われておらず、適切な実例があるので、経済学を専攻していない学生でも十分に読める。つまりは、単なる知的好奇心の一つとして。

私も、機会費用や外部性などは良い復習になった。

山形浩生が『この世で一番おもしろいミクロ経済学』の訳者あとがきで書いていたように記憶するが、結局、経済学は手を動かして問題を解くことで身に着く要素がある(こういう場合はどうだ、ああいう場合はどうだ・・・のように)ので、ただ本を流し読みしただけでは分かったようにはならない。そこが経済学のとっきつきにくい点なのだが、先ずは、手を動かして問題を解かせるようにするための動機が必要である。その動機としては、入門書が最適であり、山形が訳した『この世で一番』シリーズもその一冊なのだが、私は本書の方が経済学をもっと知りたいと思わせるに足る動機となる入門書たりえたと思う。

その理由はやはり事例なのだが、抽象的な用語を深く理解するには、具体的な事例を用いて説明されることで、理解が深まっていく。ただ、定義が少し分かり辛いところがあるのは気になった。もう少しスパッと言い切れると思う。

【書評】 潤一郎ラビリンス〈8〉犯罪小説集 著者:谷崎潤一郎 評価☆☆☆★★ (日本)

谷崎潤一郎の犯罪小説集。ミステリーを読まない私だが、谷崎や乱歩などのグロテスクで血みどろの物語は読んでいる。ここに収められた「途上」や「柳湯の事件」などは、ラビリンスよりも前に、集英社文庫で同様の短篇集があって、私はそこで初めて谷崎の犯罪小説を読んだ。ミステリーにしては合理的でなくロジカルな小説ではないと感じたが、それでも嗜虐的でグロテスクな描写は快楽的で、技巧的なミステリーよりもよほど私には魅力である。

ラビリンス〈8〉に収められているのは「前科者」「柳湯の事件」「呪はれた戯曲」「途上」「私」「或る調書の一節」「或る罪の動機」の7編。

私がつい再読してしまうのは「柳湯の事件」で、銭湯の奥底に女の死体が横たわっているという奇怪な着想は、足でその死体を確認するという描写により、ジメジメとした不快感を皮膚感覚に伝えずにはおかない。そう、私はこの作品を目で読みながら、どうやら視覚ではなく触覚による読書感覚を味わっているのだ。湯が大勢の客で賑わって濁っているために、湯の底がどうなっているか不明な湯船。そこにどっかと浸かって指先で底を触ってみるとそこにはゴムのようなものがある。そして、藻のようなものが絡みつく。これは果たして、女の死体ではないか。ゴムというのは柔らかい女の体で、藻は髪の毛ではないのか?そういった皮膚感覚に訴える執拗な描写が続き、私はいつしか読みながら銭湯にいる気になる。そのくらいリアリティがあり、著者の筆は滑らかだ。

物語が進むと女の死体というのは彼の妄想で、風呂の奥底には、代わりに男の死体が横たえられているのが分かるが、その男は主人公に急所を掴まれて殺害されたというので、なぜこんな殺され方をするのか、奇怪で、可笑しみを堪えきれない。

谷崎はラビリンス〈4〉で書いた通り、足で踏む行為を特筆して描いているが、「柳湯の事件」では、人間の足は死体を踏むのである。そして藻のような髪の毛が人間の足にまとわりつき、人間を不気味がらせる。谷崎にとっての足は、再三再四小説のモチーフとして現れる通り重要なものだが、銭湯で死体を踏む行為は「柳湯の事件」独特のスケッチだろう。犯罪小説として書かれたがゆえに、足は、死体を踏むのである。

「途上」は乱歩も好きだった短篇で、散歩をしながら相手の犯罪を暴く心理的な犯罪小説である。「柳湯の事件」よりはだいぶミステリー寄りの小説で、それゆえに乱歩が好んだのだろうが、私はミステリーのロジックよりもむしろ「妻を愛さない男」という設定にこそ注目する。ラビリンス〈8〉にも所収されている「呪われた戯曲」には、より顕著に妻を愛さない男の身勝手な犯罪が描かれている。女性から虐げられることを自ら選ぶ男を描くことが多い谷崎が、妻を愛さずに殺す男を描いたのは興味深い。

谷崎は、何故こうも妻を愛さない男を執拗に描いたのか。「途上」にしても「呪われた戯曲」にしても他に愛人があって、愛人は性的に魅力的だが妻は善良すぎて退屈な人物として描かれている。退屈な人物だから男には不要なのだが、愛人を魅力的に描くよりも、妻の無聊さを仔細に描くことで、如何に善良なだけの女は殺したいほど退屈なのかを言っているようだ。

それゆえ殺害するに至るのだが、だからといって露骨に殺す訳にはいかない。それで、思案したのが、完全犯罪を企図して殺すという方法である。いずれも他者から暴かれてはいるのだが、暴く者がいなければ、人間の手を経ずに死を迎えたかに見える。それくらい自然の死を迎えたかのように、殺害する方法を取った犯罪者たちは、邪魔者を排除して、あとはせいせいと愛人と楽しむ。犯罪が露見しては楽しめないので、完全犯罪を企図し、実行したという訳だ。

「呪われた戯曲」については、メタ戯曲のような体裁で、作家である主人公は、脚本に自分と妻を描く。脚本の中でも主人公は脚本を書いており、書かれた脚本にはまた主人公が脚本を書いているというような設定である。どこまでも合わせ鏡のように世界が連続して続いている。

脚本の主人公と妻は、現実を活写していて、妻は、自分の立ち位置が一体現実なのか非現実なのか分からなくなる。


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