好きなものと、嫌いなもの

書評・映画レビューが中心のこだわりが強いブログです

【書評】 禁色 著者:三島由紀夫 評価☆☆☆☆☆ (日本)

禁色 (新潮文庫)

禁色 (新潮文庫)

『禁色』は三島由紀夫が28歳で書いた異色長編小説

『禁色』は2部構成で発刊された長編小説で、1953年に2部が発刊されている。1953年当時、三島は28歳である。傑作『仮面の告白』が発刊されたのが24歳の年(1949年)で、あまりにも早熟だった。しかしその4年後に『禁色』のように猥雑さと純粋さが見事に混交した長編小説を書いてしまうあたり、三島由紀夫がいかに異才であったか、私は感服せざるを得ない。三島由紀夫はわずか45年の生涯であるが、芸術的感性の豊饒さは譬えようもないほどに優れていたと見える。

『禁色』には三島由紀夫の美学が凝縮されている

仮面の告白』から4年後、三島由紀夫は『禁色』を書いた。関西移住前の谷崎潤一郎作品を思わせる流麗な文体と論理的な構成を最後まで貫き通している。主人公・南悠一の「ギリシア彫刻」を思わせる完成された美は、多くの男女を拝跪させるとともに、悠一自身にもナルシシズムを喚起させて止まない。悠一は自らが鏡に映る姿を至上の美として崇める。美が自分にしか感じられないことの不幸は、悠一から愛を奪う。悠一は鏑木元侯爵夫人を愛したり、妻・康子を愛したりするが、それらは全て、偽りの感情でしかない。老作家・檜俊輔は悠一の愛をあざ笑う。悠一は自分には他者を愛せないことに気付くが、落胆することはない。自分は至高の美を内包するがゆえに、他者から圧倒的に愛されるのみである。

『禁色』のもう一人の主人公が語る芸術観

『禁色』の主人公は2人いる。1人は圧倒的に登場シーンが多く、美の頂点に立つ南悠一である。もう1人は老作家の檜俊輔で、年齢は65歳。俊輔はこれまでの生涯で女に愛されず、3人の妻にはことごとく裏切られ続けてきた。俊輔は康子という若い女性を追って伊豆半島に来た時、海から上がって来る美青年と出会う。それが悠一であった。悠一は康子の許嫁だが同性愛者であった。悠一が同性愛者であることを幸いに、俊輔は彼を使って自分を裏切って来た女性たちに復讐することを思い立つ。

これがストーリーの端緒だが、『禁色』において復讐は大きな意味を成していない。復讐はストーリーを始めるための糸口にはなっても、小説全体に影も光も落としていないのである。俊輔自身も作家として芸術観を語るほどには、復讐に対して感情を込めて語ることがない。

物語の終盤で、俊輔は「美とは到達できない此岸なのだ」と言う。すなわち、この世にありながら到達することができないもの、それが美なのである。それゆえにこそ、俊輔は至高の美の象徴たる南悠一を前にして、南悠一ではないものを見ている。悠一は俊輔の視線の意味に気付いて以下のように述懐していた。

『そうだ、この視線は僕に向けられたものじゃない』と悠一は慄然として思った。『檜さんの視線は紛う方なく僕に向けられているが、檜さんが見ているのは僕ではない。この部屋には、僕ではない、もう一人の悠一がたしかにいるのだ』

美を前にしても尚、美を確認することができても、美に到達することはできないのである。

最高の瞬間を表現できるものとしての「死」

檜俊輔は最高の瞬間を「精神と自然との交合の瞬間」だと言っている。しかしそれを表現することは、生きている人間には不可能だという絶望的な言葉も口にする。かくて俊輔は、「死」こそ最高の瞬間(精神と自然との交合の瞬間)を表現することができる唯一のものだという認識に至る。ただしそれは、どうやら自然死ではいけないようだ。最高の瞬間は死に待たねばならないと彼は言うが、死はただの死ではく自殺でなければならないようである。そして俊輔は、薬を飲んで死んでしまうのだ。

『禁色』は悠一の美しく、そして醜い姿を混交させて描ききった。そして一方、俊輔という老作家を登場させて、芸術観をぶちまける。それが自殺に通じるからといって三島由紀夫の投影とは言うまいが、老作家・檜俊輔が美を追求しつつも美に到達し得ず、死を最高の瞬間を表現できるものとして捉えていることは、三島の小説を読む上で興味深い気がした。

魅力的なキャラクター

『禁色』は文庫版にして600頁近い大作である。その中に数多くの魅力的なキャラクターが出てくる。主人公の2人は言うまでもないが、ゲイバールドンに通うゲイたち、ジャッキーという怪しげなゲイ、鏑木元伯爵とその妻、不気味なまでに夫=悠一を慕う(愛してはいないが)康子、悠一の母など、枚挙に暇がない。描写にリアリティがある。ゲイは倫理的に良いとも悪いとも既存の概念に反抗する訳でもなく、ただそこに生き生きとして佇んでいる。康子は感情を表に出さないまでも強い情念を身にまとった女性である。鏑木元伯爵は劇的な再登場の仕方で、まるで映画や舞台のようなスリルを読者に味わわせた。後半に出てくる稔なども面白い。600頁という長大な頁数を誇りながら、紙いっぱいに文字が刻み込まれた本書『禁色』は、南悠一に託された三島の美学と、俊輔に行為させられた芸術観、そして魅力的な多くのキャラクターによって、著者の傑作のひとつとなっている。

【書評】 川端康成・三島由紀夫 往復書簡 評価☆☆☆☆★ (日本)

川端康成・三島由紀夫往復書簡 (新潮文庫)

川端康成・三島由紀夫往復書簡 (新潮文庫)

川端康成三島由紀夫の往復書簡

川端康成三島由紀夫の往復書簡。巻末にロシア文学者・川端香男里(康成の女婿)と評論家・佐伯彰一の対談を併録。さらに、三島由紀夫による川端康成に対するノーベル賞候補推薦文(邦訳付き)も掲載されている。
筆まめ三島由紀夫の手紙に対し、師匠の如き川端康成による返信が瑞々しい。1968年に川端康成ノーベル文学賞に選ばれて後は、三島由紀夫の手紙は儀礼的なものになっていく。そして1970年7月、三島由紀夫が出した手紙が、最後の書簡となる。その4ヶ月後の11月25日、三島由紀夫は自決した。

終戦から三島由紀夫自決の年まで

往復書簡は1945年の川端康成の手紙から始まり、1970年の三島由紀夫の手紙で終わる。1945年3月に川端が出した手紙は、東京大空襲の直前。1970年に出された三島の手紙は、三島事件が起きる4ヶ月前。何かが起きる直前から始まり、何かが起きる直前に終わる2人の往復書簡は何やら波乱を含んだ演劇のような技巧を感じさせもする。

三島由紀夫川端康成ノーベル賞受賞がショックだったのか

巻末の対談で、川端香男里佐伯彰一は、川端康成ノーベル賞に輝いた時、三島がショックを受けたのかどうかを議論している。1968年10月16日の川端の手紙の後、三島からの手紙は10ヶ月も後の手紙になっていることを指摘している。なぜなら、1968年10月16日の手紙の翌日に、川端のノーベル賞受賞の通知があったからだ。それ以来、10ヶ月も三島の手紙がなかったことを2人は疑問視している。

川端香男里 しかも、川端康成ノーベル賞受賞以降、三島さんの手紙はたった二通だけ。
佐伯彰一  川端さんのノーベル賞受賞によって、やはり相当のショックを受けられたんでしょうね。これは、作家の自尊心にかかわる微妙な問題ですが、三島さんは、次々と出てくるベストセラーまで気にかけずにいられない、人一倍競争心の強い人だったから、最後の行動の引き金とまでは言わないけれども、繋がる何かを感ぜざるを得ないなぁ。

川端香男里は、康成のノーベル賞受賞の後、三島からの手紙はたった2通だけだったことに触れた。それに対して佐伯は、三島は川端康成ノーベル賞受賞が三島には相当のショックだっただろうと推定する。確かに、佐伯が言うように三島事件と「繋がる何かを感ぜざるを得ない」のは、私もそうだろうと思う。

赤裸々につづられた三島由紀夫の心情

三島由紀夫は手紙の中で自らの心情を赤裸々に吐露している。1945年以降の初期の手紙は、未だ作家としての地位が定まらない時代のもので、三島は血気盛んな文学への思いを書いていた。勧銀の入社試験には落ちたが大蔵省には入省できたことなどのエピソードも初々しく、三島が川端に信頼を置いているがゆえ率直に書けていたのだろうと思う。

川端と三島の往復書簡の中で衝撃的だったのは、1969年8月4日付けの手紙である。三島が川端宛てに書かれたものだ。

三島は長い手紙の中で、以下のように、死を予期するような言葉を綴る。

小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です。小生にもしものことがあったら、早速そのことで世間は牙をむき出し、小生のアラをひろい出し、不名誉でメチャクチャにしてしまうように思われるのです。生きている自分が笑われるのは平気ですが、死後、子供たちが笑われるのは耐えられません。それを護って下さるのは川端さんだけだと、今からひたすら便り(原文ママ)にさせていただいております。

この時すでに死を予期していたとしか思われない文章ではないか。全幅の信頼を寄せていた川端康成にしか言えない、やや弱気とも思える三島の苦しみ、哀しみがここに表れているように感じる。

最近

■最近聴いている曲

Something Just Like This (Coldplay)


The Chainsmokers & Coldplay - Something Just Like This (Lyric)


切ない。
歌詞も良いしメロディも良い感じ。

コールドプレイ良いなあ。大好きなクイーンも英国人だし、英国に行ってみたいな。。。


Born To Be Free (X JAPAN)


X JAPAN YOSHIKI Drums at Wembley London 2017 - Born To Be Free


滅多にテレビを見ないのに、年末年始にテレビを見た。
そこにXのYoshikiが写っていた。面白かった。
YouTubeで彼らの曲を聴いてみると、意外と良い。この曲の他、『La Venus』も好きな方。

■久しぶりに劇場で映画を見ようかな

『グレイテストショーマン』が面白そう。


映画『グレイテスト・ショーマン』予告D


ミュージカル好きだな〜

【書評】 鳥肌が 著者:穂村弘 評価☆★★★★ (日本)

鳥肌が

鳥肌が

論じるにも値しない安っぽい文章の数々が並ぶ。歌人穂村弘によるエッセイ集。

小さな子供と大きな犬が遊んでいるのを見るのがこわいとか、自分以外の全員は実は・・・という状況が怖いとか、「笑い」と「怖い」の紙一重の日常を雑な言葉で描写している。素人の文章を読まされるようでつらい。

こういう駄文を読むと、村上春樹は遥かにマシであることが分かる。彼の文章は、いかに手を抜いたとしても、一定のレベルを保っている。

【書評】 日本に絶望している人のための政治入門 著者:三浦瑠麗 評価☆☆☆★★ (日本)

コンパッションの価値観をもとに

本書『日本に絶望している人のための政治入門』は、政治学者・三浦瑠麗の政治評論である。『「トランプ時代」の新世界秩序』が良かったので読んでみたが、本書もなかなか面白かった。研究者としての成果は知らないが、政治評論の分野では、本人の文章作成の手練もあいまって、完成度の高い仕事をしていると思った。

冒頭に、自分の政治に関する思想を貫くものは何か?と自問したうえで、著者は「コンパッション」が重要だと言う。コンパッションとはどういう意味かというと、「ともに苦しむ」ということである。「寄り添って同情するだけではなく、もう少し大きな全体最適に向けて考える」価値観である。このコンパッションをもとに、本書は書かれている。著者はコンパッションについて次のようにも書く。

私のコンパッションとは、いわば積み重ねられた絶望感の上でにやっと成り立ったものであって、憎しみや怒りを超えてようやっとたどり着いた戒めのようなものです。犠牲になり、踏みつけられた者たちの存在に目を向け、怒りを乗り越えたところから出た言葉でなくては、コンパッションというのは浅い言辞にすぎません。恵まれた高みから、愛や、共感や、犠牲を語ってはいけないのです。

まるで熟達したエッセイストの文章のようではないか。

コンパッションの偏在が欲しいところ

残念だったのは、コンパッションの価値観をもとに書き始められてはいるものの、コンパッションという価値観が本書に偏在していないことだった。ところどころに、まるで思い出したかのようにコンパッションが顔を出すが、本書全体を貫いてはいない。現代日本政治や国際情勢について著者なりの見解を打ち出すところに主眼が置かれているので、コンパッションはしばしば脇に追いやられている。タイトルも『現代政治に必要な「コンパッション」の思想』とか、そんな風にした方が良くはないか?と感じられた。その上でコンパッションで本書全体を貫けば、個性的で明確なメッセージ性を打ち立てることができただろう。こういうところが奏功したのが『シビリアンの戦争』なのだろうが。

米軍撤退の可能性にも言及

オバマ大統領をレトリックと紐づけて論じるところは、『「トランプ時代」の新世界秩序』と同様で、言語化の巧みさを感じた。また、米軍撤退の可能性についても言及していて、『「トランプ時代」の新世界秩序』ほどではないが、英国の歴史や米国の民主主義政策に基づいた「レトリック」を弄して慧眼だと言える。沖縄を中国や韓国も使用する「アジアのハブ」にという意見には賛同できないが…

rollikgvice.hatenablog.com