【映画レビュー】 シン・ゴジラ 評価☆☆☆☆★ (2016年 日本)
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1.感想
『シン・ゴジラ』を友達夫婦と見た。確かに傑作。好きな映画の一つに加えたくなるほど良い出来だ。『エヴァンゲリオン』と並んで総監督・庵野の代表作になる。
テンポが素晴らしく早く、日本映画にありがちな像の歩みのような鈍重な展開がない。また、328人も俳優を出しておきながら、主要キャスト以外の脇役にもそれなりに配役を与えて捌いていたのが好印象。
この映画はリアリティのある日本文化論である。国の最高の意思決定権者である総理大臣でさえ一人では何も決めることができない。石原さとみ演じる日系アメリカ人女性は「重要なことは、アメリカでは大統領が決める。では、日本では誰が決めるのか?」それに対する日本人(主演の長谷川博己)の答えはない。言われっ放しで沈黙するだけだ。ここで「日本でも総理大臣が決める」と言えれば良いのだが、日本人は何も言うことができない。
実際に、日本の総理大臣は何も決めていないからだ。ゴジラという脅威が出現し、撃退しなければならない初期の段階において、何も決められない。部下に「お伺い」を立て、会議を何度も何度も行い、それでようやく何事かを決めたかのようにふるまう。しかしそれでは遅すぎる。ゴジラには何のダメージも与えることなく終わる。つまり日本の意思決定は、脅威に対して何らの効果を及ぼさないということだ。
『シン・ゴジラ』が日本文化論として優れているのは、上記のように国のトップが何も決められないからといって、日本がそれで終わらないということ。
結果としてこの映画でトップが一人で決めてゴジラを撃退することにはならない。ならないが、日本という国はそういう国なのだと割り切って、組織の中でトップではない人間がリーダーシップをとってゴジラ撃退を成し遂げていく。それを担うのは主人公だが、主人公も一人では何も決めない。意思決定の弱さは主人公だけは剥奪されているのではない。主人公も意思決定は弱いのだ。
しかし日本には集団の力がある。彼の部下たちは主人公に具申して、集団の力を発揮する。ゴジラを倒す力を人間が持たないことを知った国際社会が日本に核を投下することを決定しても尚、主人公とその部下たちの集団は、ゴジラ撃退の策を練る。それがゴジラを凍結させる策だが、主人公一人ではなく集団が一致団結して、失敗しない解決策を完成させる。結果的には凍結がゴジラ撃退に繋がっていく。
日本は一人で意思決定をしていく国ではなく、集団の力で決定していくということ。それが正しい方向へ、迅速に進めば、脅威にさえも立ち向かうことができるということ。日本は第二次大戦も東北大震災も、一人ではなく集団の力で解決してきた。集団とはつまり、国民だ。日本国民が一致して正しい方向へと向かうことで、脅威を打倒し、解決することができる。
『シン・ゴジラ』における日本文化論とは、そのような文化論なのである。ゴジラは脅威の象徴にすぎず、具体的には戦争であったり自然災害であったりする日本へのあらゆる脅威の象徴のことだ。日本はそれに対して国民が一致団結して立ち向かい、解決する。それが是か非かは別として、日本はそうしてきた。
ただ『シン・ゴジラ』を見ていて俺が哀しいと思うのは、意思決定の弱さがゴジラによる日本国土の荒廃を拡大させた思ってしまう点だ。日本は確かに集団の力が強い。一致団結すればどんな脅威にも立ち向かう。しかしその脅威の力を大きくさせ過ぎるのもどうなのか?ゴジラは段階を経てどんどん強大な力を持っていくのだが、早い段階でゴジラをどうしたら撃退できるかを決定しておけば、撃退できただろう。そういうifを考えたくなるのが、日本の意思決定の弱さを危惧する点である。
意思決定の弱さを、日本では集団の力でカバーする。それが『シン・ゴジラ』の結論であるが、意思決定は、やはりもう少し早い方が良い。災厄を目の前にして部下の意見を聞き過ぎたり、会議を開き過ぎたりすることよりも、国家防衛の統率者である総理大臣ならば、まさに彼が一人で意思決定をすべきことだ・・・そうしておけば日本国土の荒廃はここまで拡大しなかったかもしれない。
『シン・ゴジラ』は前半で、何も決められない日本の内閣を皮肉たっぷりに描いているのだが、こうしたブラックユーモアが、殊に、日本人のトップの意思決定の弱さが招いた国土荒廃の拡大のように思えてならなかった。
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何も決められない内閣総理大臣を演じる大杉漣(写真はドラマ『バイプレイヤーズ』より)
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最後に批判を2つだけ。石原さとみの英語の発音は良い。しかしそれは日本人にしてはというところで、日本人がしゃべる英語という印象は拭えない。 つまり淡白な発音なのだ。この話し方だと、日系アメリカ人で将来大統領を目指す日米の橋渡し役という設定は無理がある。石原さとみは、本作の女優陣では一番出番が多いので、見ていて異和感が残った。日本人役の竹野内豊の方が発音が良いので尚更目についた。
石原さとみは綺麗だが特に演技が上手いという訳ではないから、知的な役なのにそう見えないし、アメリカ人らしくない英語を話していると、ギャグのように見える。別のキャストの方が良かったのではないか。背の高い長谷川博己と並ぶシーンが多いのだが、背の低い彼女はどことなく貧相にも見える。彼女の英語が圧倒的に上手ければ、身長の低さも気にならなかったかもしれないが。
もう1つは死体が転がっていなかったこと。ゴジラはモノは壊すが人を殺していないように見える。もちろんゴジラのお陰で閣僚はほとんど殺されるし、住民も多数殺されるのだが、直接的に人間が死ぬ「痛み」のあるシーンが描かれない。日本国家対ゴジラという視点を強調し過ぎたのではないだろうか。
2.『シン・ゴジラ』の北野組
ここからは番外編である。
本作で意外だったのが北野映画の俳優がたくさん出ていたところだ。あまりにもたくさん出ていたので、北野映画のファンとしてはほくそ笑んでしまったので、隣にいた友達が「なんだ?」という目で見ていたが、気にせず。
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北野武監督
『シン・ゴジラ』には首相が2人出てくるが、そのどちらも北野映画の俳優なのだ。大杉蓮と平泉成。大杉は『ソナチネ』『HANA-BI』『BROTHER』が有名。平泉は北野のデビュー作『その男、凶暴につき』や『キッズリターン』に出ている。
その他・・・
國村準『アウトレイジ』
モロ師岡『キッズリターン』
中村育二『アウトレイジビヨンド』
北野組じゃないけど手塚とおるが出ていたのは嬉しかった。役どころは小役人だが、あいかわらずブラックな存在感である。
この映画の中で一番素晴らしい演技をしていたのは高橋一生かな。
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