2017年10月7日は既に過ぎ去った。私は、この日を待ち遠しく思っていた。なぜなら、北野武監督の最新作『アウトレイジ最終章』が公開された日だからだ。
私は来週の月曜日に『アウトレイジ最終章』を観に行こうと思うが、その前に私が好きな北野映画のランキングを発表したい。 これを書くことで『アウトレイジ最終章』を観るための心構えができると思ったからだ。それに加えて、『アウトレイジ最終章』を早く観たいが、今観られないので、観たい気持ちを抑えるために書いたという側面もある。
では、いこうか。
10位 龍三と7人の子分たち(2015年)
北野武が純粋なコメディ映画を描くと退屈だと思ったのは、『みんな~やってるか!』と『菊次郎の夏』を観てからである。ビートたけしとして、テレビで多数のコントを作っていた時とは違って、北野のコメディ映画は人工的な笑いしか出てこない。つまり、強制的に、無理やり笑わされているようなのである。
『龍三と7人の子分たち』は、そういう意味では、北野のコメディの中では珍しく自然に笑いを誘う映画となっていると言えるだろう。
若かりし頃はヤクザや犯罪者だったかのような老人が多数、画面に出てくる。そして鈴木慶一の間延びした、しかし軽快な音楽と共に、8人の老人は自分のやりたいことをやって暴れる。そこに目的意識は欠如されている。ただ暴れたいがために、自分のやりたい行動を取っているだけである。だがこの徹頭徹尾、自分のためにしか行動を示さない老人たちの暴れ方は、無意味であると同時に、無意味ゆえに素直に笑うことができる。
9位 その男、凶暴につき(1989年)
北野武監督初監督作。深作欣二の代役として監督を務めたこと、野沢尚の脚本を北野流にアレンジしたこと、既に北野映画は原点から完成されていたこと(突発的な暴力描写・説明を欠く演出)、ルイ・マル監督の『鬼火』からの影響(エリック・サティの音楽や自殺願望)など、話題には事欠かないが、今さらこのブログでそれらを挙げてみても仕方あるまい。
私は、『その男、凶暴につき』における出演者の血が沸き立つような存在感に、圧倒されるし、同時に滑稽さを感じる。ビートたけしが妹の体にいたずらした男を階段から突き落とすシーンや、犯罪者が刑事をバットで殴るシーン、そしてたけしと同じくらいスクリーン上で暴力の限りを尽くす白竜。これらのシーンは迫力ある演出で描かれているが、何度も観ていると笑いがこみ上げてくる。
その理由は北野武が散々描いてきた突発的な暴力の原点がここで描かれきっているからだろうか。既視感をそこに感じるからなのだろうか。そうではなくこれらのシーンが単純に面白いからである。まるでビートたけしのコントを観るような感覚だ。
8位 アウトレイジ(2010年)
北野が最後にバイオレンス映画を撮ったのは2003年。『座頭市』という時代劇だった。その後北野はバイオレンス映画を撮らなくなる。
そして、『TAKESHIS'』『監督・ばんざい!』『アキレスと亀』という、映画観・芸術観をさらけ出す映画を撮った。私はこれらをすべて観たが、『アキレスと亀』以外はよく分からなかった。『監督・ばんざい!』に至っては、当初のタイトルがOpus19/31だったそうで、フェリーニの『81/2』からの影響を受けた作品を作ろうとしたようである。これら3つの作品は、評価も良くなく、迷走している感があった。だが、北野が、そうした、映画の方向性への苦悩を経て、久しぶりに撮ったバイオレンス映画が、『アウトレイジ』だ。
『アウトレイジ』は北野作品初のシリーズ作品で、セリフが多く、物語性も非常に高いバイオレンス映画である。北野が作品を評して、「死ぬシーンを先に考案した」と言う通り、登場人物は印象的な死に様を見せていく。印象的というのは、ほとんどが残酷な死に方を見せていくというものである。
特に、 椎名桔平が演じた水野が殺されるシーンは残酷だ。首をひもで縛られたまま車を発車させ窒息死させられるのだが、水野は首がとれかかってしまうのだ。首がとれかかるシーンはみせないが、「水野の首がとれかかっていたぜ」という台詞から観客に残酷な死に様を想像させる。
物語性の高いバイオレンス映画『アウトレイジ』は、単体で観るとそこまで良い映画ではないが、続編の『ビヨンド』とセットで観ると面白い。『ビヨンド』では死んだはずの大友が復活して、木村と手を組んで山王会を壊滅させるのだが、『アウトレイジ』では冷や飯を食わされた両人が『ビヨンド』で復讐していく様が面白く思えるのは、『アウトレイジ』のある種の伏線を回収していくように思えたからである。
7位 3-4X10月 (1990年)
『3-4X10月』は北野武の2番目の監督作。北野が編集長を務めた雑誌『コマネチ!』で、北野は『3-4X10月』をできの悪い子どもと言っていたように記憶する(手元に資料がないので間違っていたら申し訳ない)が、確かにできの悪い子どもだが、できの悪い子どもほどいとおしいように、『3-4x10月』は愛すべき作品である。
いわゆる夢落ちの物語で、草野球中にトイレの中で夢見た男の暴力性が発散されている。主人公を演じるのはたけし軍団の柳ユーレイで、馬のような間延びした顔が気持ち悪いが、何を考えているのか分からない表情が巧みで、彼なら確かにヤクザの事務所にタンクローリーで突っ込むだろうと思わせる。
物語は東京編と沖縄編の2つで、代表作『ソナチネ』を先取りしたような構成である。主人公はあまり口数が多くなく、沈黙に近い。ヤクザも出てきて、ベンガル演じる武藤や、芸人のガダルカナル・タカが演じる井口という男が鮮烈な印象を放つ。大して演技ができないはずのお笑い芸人であっても、北野の手にかかると俳優としてきちんと画面に収まっているのが見事である。
沖縄編で初めてビートたけしが出てくる。懐かしの元ボクサー・渡嘉敷勝男がたけしの部下として出演。渡嘉敷は大して演技力はないが様になっている。組長役で豊川悦司が出演しているがオカマに見える。
ビートたけしは上原という役。ビートたけしは、最後はやっぱり死ぬ。沖縄の乾いた映像が非常に美しく耽美的である。
6位 キッズ・リターン(1996年)
『キッズ・リターン』は、北野武監督がバイク事故を起こした後の復帰作品。ビートたけしは出演していない。金子賢・安藤政信主演作。脇役でやべきょうすけ、そして脚本家で俳優の宮藤官九郎がチョイ役で出ている。
構成力に優れた物語で、マサル・シンジ・ヒロシの3人の少年が転落していく様を横断的に描いている。この演出手法は『アウトレイジ』シリーズにも通じるものだ。
3人の少年の転落の原因は全て彼ら自身にある。マサルはヤクザになるが、ヤクザ組織に馴染み切れずに会長に暴言を吐き、組織を追い出された。シンジはボクサーを目指すものの先輩(モロ師岡)の甘言にのって破滅する。ヒロシははかりの会社に就職し彼女とも結婚するが、楽な仕事を目指しタクシードライバーに転職して事故を起こす。
3人の少年の転落を描くといっても、主たる対象はマサル・シンジの2人である。彼らは映画の冒頭から自転車に2人乗りをして、無気力な高校生活を送っている。高校を卒業して大人になり、マサルはヤクザ、シンジはボクサーの道に進む。件の通りそれらの道筋は良い実を結ばず、2人は出身高校の校庭に戻ってくるのだ。
ラストでシンジはマサルに、「マーちゃん、俺たち終わっちゃったのかな?」と聞く。マサルは笑いながら「馬鹿野郎。まだ始まってもいねえよ」と言って終わる。文字だけを見るとクサイが、リアリティのある2人の人生の失敗を見届けた後なので、マサルとシンジの台詞を聞いて静かな感動が押し寄せた。
5位 BROTHER(2001年)
『BROTHER』は『ソナチネ』の海外版といった印象で、北野映画のファンの中でもあまり上位に位置づける人も多くないんじゃないかと思う。だが私は『BROTHER』が非常に好きで、心の中で北野映画ベストワンにしていた時代もある。その後多くの作品が出てきたのと、『BROTHER』の原点である『ソナチネ』を観返したことでランクは下がった。それでも上位に位置させた。
『ソナチネ』『3-4X10月』同様に2部構成となっている。上記2作品であれば東京編と沖縄編の2部構成だ。『BROTHE』に至ってはそれが日本編と米国編の2部構成となっている。
『ソナチネ』で北野映画に初登場した大杉漣は、『HANA-BI』では静謐な演技を見せたが『BROTHER』 では大組織化するヤクザ組織に飲み込まれて自滅する組の幹部を演じた。腹を切って大腸を晒すシーンはグロテスク極まりなく、大杉漣の体当たりの演技であろう。
北野武の映画では「日本」という国を象徴することが少ない。それがジャン=リュック・ゴダールも評価した点だった(ように記憶する。これもうろ覚え)。しかし『BROTHER』における北野は日本を意識して撮っているように思えてならない。私は『BROTHER』を観て、大東亜戦争を思い出した。米国に挑み、途中までは善戦するも後は無残に敗北する日本。戦争を美化する訳ではないが、あの当時の日本が米国に挑戦せざるを得なかったこと、そして数多くの無辜の人間の生命を奪ったことは許されないながらも、日本がかつて米国と戦争して戦ったプロセスまでは否定したくない私は、『BROTHER』を観て、先の大戦時の日本を思い起こした。
4位 アウトレイジビヨンド(2012年)
『アウトレイジビヨンド』 は『アウトレイジ』シリーズの2作目。これで最後と思っていたので『最終章』が発表された時は驚かされた。
神である片岡刑事を、大友が殺す映画で、山王会のヤクザたちがバタバタと殺されていく姿は『ソナチネ』以降、一貫して見られる北野映画の敗北シーンの象徴。
ビートたけしが一応の主人公ということになっているが、群像劇なのでたけし主演という感じでもない。たけしは演技力が落ちているので、1人で主演を張ることはできないのかもしれないが。『ビヨンド』は、ビートたけし演じる大友、中野英雄演じる木村、そして小日向文世演じる片岡刑事を主軸に、それぞれのキャラクターが強い魅力を発揮していた。
私は意外と、山王会幹部役を演じた中尾彬の演技が好きだった。片岡の口車に乗せられて、関西の花菱会に乗り込むも、裏で山王会と花菱会が通じていたので、山王会の舟木に殺されてしまった。彼の演技は存在感が抜群で、「ちょっと待ってくれよ!」と取り乱して命乞いをする最期がまた、非常に哀れで良い。
多くの人がネットで言っているが、木村役を演じた中野英雄、花菱会の幹部を演じた西田敏行と塩見三省は非常に素晴らしく、彼らなくして『ビヨンド』は成り立たなかっただろう。ゆえに、木村が殺害された時は一抹の口惜しさを覚えたものだった。
3位 座頭市(2003年)
『座頭市』は勝新太郎主演で有名な『座頭市』シリーズを北野流に翻案した時代劇。時代劇といっても、特に歴史物語ではないので、舞台が江戸時代というだけに過ぎない。
この映画におけるビートたけしは完全無欠のヒーローで、『血と骨』の時よりもはるかに凄味があった。ラストのタップダンスは毀誉褒貶あるようだが、躍動するリズム感がカッコよく私は好きである。
主人公・市による大量殺戮は、カッコよく演出されているが、彼の行動の意味を考えると何の意味もないので、恐怖以外の何物でもない。市はヒーローといっても、正義の味方ではないのだ。ある姉妹のために戦っている訳ではない。あたかも殺すことを目的としているかのようだ。
蓮實重彦は『座頭市』の主人公・市を「宇宙人」と評した。確かに主人公は市と呼ばれ、あるいは按摩さんと呼ばれるものの何者なのか説明されない。そういう意味で宇宙人という名称は、確かに市にふさわしい。市と呼ばれるよりも遥かにふさわしい。
2位 ソナチネ(1993年)
北野映画の中で、特に無常感きわまりない映画が『ソナチネ』である。この映画が北野武の心象風景なら彼は自殺願望があったのだろう。
ルイ・マルの映画『鬼火』は1人の男が自殺するまでの2日間をシンプルに描いた映画だが、『ソナチネ』はビートたけしが演じる村川の自殺願望に彼の組員全員が巻き込まれたかのような映画である。
とにかく村川はヤクザとして、個人的に絶頂を極めたため、あとはもう死にたくて死にたくて仕方がないという感じである。そんな男の自殺願望に大杉漣演じる片岡や、寺島進演じるケンなどが巻き込まれてしまったとしか思われない。矢島健一演じる高橋はインチキくさいインテリヤクザだが、彼もまた、村川の自殺願望に付き合わされる。
仕事の上で絶頂を極めた者には、あとは何が残っているのか。何をしてもそれは、絶頂の繰り返しでしかない。だからあとに残されているのは死しかないのではないか。そんな無常観が手に取るように伝わってくる。
1位 HANA-BI(1998年)
『HANA-BI』は夫婦愛を描いた映画である。男の一方的な愛ではなく、妻との双方向の愛であることが最後に明かされる。だから私は、最後のシーンでいつも泣かされてしまう。この映画は既存の北野映画の集大成のようでいて、テーマが全く異なるために異様な雰囲気を放っている。私にとっては、これが北野の最高傑作!
ランク外の作品の中で惜しくも漏れたのが『アキレスと亀』だが、他の作品はあまり好みではなかった。ただし、ランキングに入っていない2作品『Dolls』『あの夏』は、嫌いなのではなく、未だ観ていない。