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【書評】 モノの意味 大切な物の心理学 著者:ミハイ・チクセントミハイ、ユージン・ロックバーグ=ハルトン 評価☆☆☆☆★ (米国)

 

モノの意味―大切な物の心理学

モノの意味―大切な物の心理学

 

モノ(場所を含む)を大切にするという心理はどういった意味を表すのか。例えば、家の中にあるモノの中で、あなたが大切だと思うモノを挙げて欲しいといった時、私なら本と答える。妻に聞いてみると家という答えが返ってきた。子のひとり(女児)に聞いてみるとおもちゃであった。

 

モノに対する執着について、私は出来るだけ考えないようにしていた。モノに執着すると物欲に支配されているように感じたからだ。しかしあなたが大切だと思うモノは何か?それを挙げよと言われた時に、そもそも、モノに対して”大切”だと思う感情があることに、今さらながら自覚させられる。すると、モノを大切だと思う感情は、ことさらに物質主義的なものではなく、心の投影のように感じるようになった。モノを大切にする、愛するという思いは、物欲ではなく、モノに対する心の投影であり、モノを通じて人間の性質、思考、感情などが露わにされることになろう。

 

『フロー体験 喜びの現象学』で大いに感心させられたチクセントミハイが、ロックバーグ=ハルトンという社会学者と共に著したのが本書である。私は『フロー体験』の著者が書いたから本書を手に取ったに過ぎないが、思いのほか良い本であった。

 

人間がモノを大切にする心的活動について本書は、涵養という概念を用いる。涵養は、人間がモノの追及に際して注意を選択的に向けることではじめて可能になる心的活動であり、モノとの相互作用である。従って、モノに注意を向けることで、人間の心的活動がどのような内容を表すのかということが問題となるだろう。注意とは心的エネルギーと同意の概念である。私が冒頭で「家の中にあるモノの中で、あなたが大切だと思うモノを挙げよ」と自問した時の「大切だ」という言葉には、注意、心的エネルギーそして涵養そのものが含意されている。

 

モノに対する心的活動を考える上で、著者はモノを単なる無機質なモノとのみ考えない。ハンナ・アレントを引き合いに、人間の環境には2通りあるとする。1つは、自然の力によって作られた「宇宙」、そしてもう1つは人間の努力によって造り上げられた「世界」である。アレントは、「世界(世界とはもちろん上記の意味である)のさまざまな物には人間生活を安定させる機能がある。・・・いつもの椅子、いつものテーブルにかかわることで、同一性すなわちアイデンティティを回復させることができる」と言う。モノは単にそこにあり所有されるだけではなくアイデンティティの回復にまで寄与すると言うのである。つまり、モノと人間との相互作用において、人間の性質が規定される訳である。モノはそこに置かれるだけではなく、人間との相互作用を通じて、それを大切にする人間は何を考えているのか、その性質が規定されるというのだ。それゆえに本書におけるモノは、自然と、家の中に置かれるモノに関心が注がれている訳である。

 

愛する人やかつて訪問したことのある場所に触れているという感覚、自然そのものとふれているという感覚は、人間が重要だと考えているものごとを表現し、あるモノや意味に限定して集中的な注意を注ぐよう、動機づけられている目的を明らかにする。例えばいとしい恋人と行ったことのある思い出深い場所を、再び訪問する時に、何とも言えぬ懐旧の念にひかれることがある。既に恋人とは別れ、自分は他の恋人と交際しているのに、その恋人と訪れた場所の思い出や、その恋人に対するあらゆる感情が呼び起こされる。それを懐旧とひとくちに表現したが、恋人に対する感情は良いものばかりではないし、辛く悲しい、あるいは怒りに満ちた感情であることもあろう。その場所がそういった曖昧模糊とした感情でありながら、喜び喚起させる場所であれば、そこはそういった意味においてその人を規定づけるのである。文章におこしてみれば、モノに対する人間の心的活動とは、当たり前といえば当たり前の概念で何てことはないのだが、モノが単にそこにあるものではなく、人間を規定づけ、アイデンティティを回復させる場所であることを想起すると、人間とモノとの相互交流には人間の心理を解き明かす上での謎が数多く残されていることが分かろう。

 

個人におけるモノの意味だけではなく、家族で所有しているモノについての分析も興味深い。家族はモノと共に生活する。それらのモノは、家庭という感覚を伝える。すなわち家庭とはどんなものなのかが、モノを通じて明らかにされる訳である。家族とモノについては、8章の「家族生活の記号」でより明らかに分析されていた。温かい家族の母親は家を「とてもすてきなうちだ」と表現し、冷たい家族の父親は家を「殺風景で人工的で・・・うちの中は寒々しい」と表現していた。

 

人間とモノの相互交流、それに基づく人間の心的活動について分析されていく本書には詩情が横たわっている。それは、400ページにも及ぶ大きな文章の中で、インタビューされた多くの人物たちが吐露する心の風景に、その人々の様々な感情、歴史などが明らかになっているからであろう。