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【書評】 お嬢さん 著者:三島由紀夫 評価☆☆★★★ (日本)

お嬢さん (角川文庫)

お嬢さん (角川文庫)

三島由紀夫のお嬢さん小説

三島由紀夫作品の中で、少女とか若い女性を主人公にした小説はいくつかあり、どれもエンターテインメント作品だ。『夏子の冒険』『恋の都』そして本書『お嬢さん』もその系列に挙げられる。主人公に気品があるのでこれらを総称してお嬢さん小説と呼んでも良いかもしれない。尚、この3作品の中で一番物語性が高いのが『夏子の冒険』である。『恋の都』も『お嬢さん』も、それほどスリリングな展開には至らないので、エンターテインメントとして高い評価を上げづらい。ゆえに、三島作品のお嬢さん小説の中でどれを勧められるかといえば、『夏子の冒険』になるだろう。それでも私の評価だと標準の☆3つなので、それなりの小説ということになるが。

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三島由紀夫は女性を描くのが苦手

去年から今年にかけて、三島由紀夫の長編小説ばかり、いくつか読んでいるが、どうもあまり彼は女性を描くのが得意ではなかったようだ。お嬢さん小説に限らず、『音楽』『沈める滝』なども女性の心理を描こうとしているがあまり鋭くない。悪くいえば紋切り型で、特に掘り下げて考えられていない印象を持つ。逆に男性心理は非常に上手く、『禁色』も『宴のあと』も、有名な『仮面の告白』も丹念に描かれている。最近、三島と並行して川端康成の長編小説も読んでいるので、三島の女性描写の陳腐さが際立つ。『お嬢さん』『恋の都』も、女性が主人公なのに読み手に主人公像が迫ってこないのだ。『夏子の冒険』は、その中でも主人公・夏子の特異性が見えるような気がするが、それは彼女の行動力の高さに起因しているかもしれない。それと、夏子は三島由紀夫の「日常の倦怠」の体現者なので、彼女の行動は、三島作品の主人公らしさをも請け負っているから、特異性があるように、読み手に主人公像が迫るように、感じられるのだろう。

『お嬢さん』はお嬢様の結婚騒動を描く

『お嬢さん』は、20歳の女子大生・藤沢かすみの結婚騒動を描いている。彼女に求愛したい男は数知れないが、かすみはあまり関心が持てないでいた。かすみの父は大海電気取締役で、父の部下たちが出世のことも考えて、かすみに近づきたい気持ちを持っている。それを知っているかすみは、彼らを意に介さないのだ。そんな中、ひとりの男がかすみの目に留まる。沢井という男だ。沢井も父の会社の社員で、女にモテるイケメンである。父としては、あまり女にモテる男でも困るので、素行調査をするが、なぜか、沢井は清廉潔白な男としての情報しか得られない。かすみは沢井を本気で愛しているか否か分からないのだが、とりあえず沢井と結婚しようと画策する。この心理が分かるような、分からないような感覚で、読んでいて不条理な感じがしたものだ。『沈める滝』みたいに、人を愛せない女性という訳ではなく、単にお嬢さんだから、恋愛も何も分からないのでとりあえず結婚する。その相手がちょっと危険な香りのする沢井だったという程度の構造で、面白みを感じなかった。それと、沢井の素行調査をしても彼の素行の悪さが伝わらないというのも、何とかならなかったか。例えば、素行の悪さを知って、父が沢井とかすみとの結婚を絶対に認めようとしなくなる。それを何とかして結婚を認めようとするというような展開だと、劇的で面白いと思った。

『お嬢さん』は、普通のお嬢さんの普通の恋愛小説になってしまった

『お嬢さん』は、恋愛も社会も知らないお嬢さんが、ちょっと危険な香りのする沢井との結婚騒動を繰り広げる物語だ。当時は会社の重役の娘が大卒後働いて結婚するという社会ではなかっただろう。だからお嬢さんは大卒後そのまま良い人と結婚したのだろう。まあその社会構造通りの物語は良いとしても、かすみに毒気が欲しかったところである。世の中を達観していて、結婚なんて…と思っているとか、せめて『夏子の冒険』の夏子みたいに、お嬢さんだけれども、非日常を求めていて、恋人が日常的になろうとすると彼を捨てて、やっぱり非日常(この場合は修道院)を求めるみたいな、そういう毒気が欲しかった。『お嬢さん』は、普通に結婚して、結婚後少しの波があるだけで、平和に暮らして終わるというもの。もう少し波風を立てて欲しかったと残念に思えてならない。

【書評】 恋の都 著者:三島由紀夫 評価☆☆★★★ (日本)

恋の都 (ちくま文庫)

恋の都 (ちくま文庫)

ビジネス小説的に女性が活躍する

『恋の都』は三島由紀夫の長編小説でエンターテインメント作品。まゆみというバンドのマネジメントを担う女性の活躍を描く。戦後すぐの日本を舞台に、アメリカ人らを相手に流暢な英語を駆使して仕事をするまゆみは商魂たくましい。

バンドのメンバーが人妻と不倫すれば奔走するなどまゆみの活躍でバンドは維持されている。タイトルが恋愛小説的なので誤解を招くが、本書は、三島によるビジネス小説なのではないかと思った。

美しいまゆみはアメリカ人を翻弄する

まゆみは美しく、男たちは彼女に惹かれていく。しかし相手にされないで終わる。アメリカ人もまゆみを狙うが、彼女はアメリカ人たちを相手にしない。それには理由があって、まゆみにはかつて日本人の恋人があって、第二次大戦で戦死したのだ。だからまゆみはアメリカ人の男を翻弄することで、精神的な復讐を遂げようとした。

戦後すぐの日本を舞台にしているだけに、自身の美をもってアメリカ人を翻弄するまゆみの姿は愛国的にすら見える。彼女は戦争に敗北した日本の復讐を、恋人の戦死と、自分に言い寄るアメリカ人を翻弄することで成し遂げようとした。途中で恋人が実は生きていたということが判明するが、何だかあまり面白くない展開になってしまった。まゆみは、男を空気ほどにも思わない女性であって欲しかったな。

【書評】 いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ 有効需要とイノベーションの経済学 著者:吉川洋 評価☆☆☆☆★ (日本)

ケインズが復活した!

1970年代以降、ケインズ経済学は死んだと思われていた。特にロバート・ルーカスの死の宣告がケインズ経済学に与えた影響は大きい。しかし2008年、米国のサブプライム・ローン問題に始まる世界金融恐慌が起きて、古典派経済学の経済政策では太刀打ちできなくなると、ケインズ経済学は復活した。 

著者の吉川洋東京大学名誉教授。マクロ経済学が専門。ちくま新書で『ケインズ』という本を出している他、マクロ経済学の教科書も出している。そういう経歴の著者が書いたケインズシュンペーターについての本書は、いかにも興味をそそられるではないか。

ケインズシュンペーター、1883年生まれの2人の天才経済学者

本書は以下のように始まる。同じ年に生まれた2人の天才経済学者の誕生が「経済学にとって特別の年」だとして。

一八八三年、この年は経済学にとって特別の年である。二〇世紀を代表する二人の天才経済学者ジョン・メイナード・ケインズとヨーゼフ・アロイス・シュンペーターは共にこの年に生まれた。

ケインズは英国生まれ、そしてシュンペーターオーストリア=ハンガリー帝国(現在のチェコ)に生まれた。ケインズは名門ケンブリッジ大卒業後、インド省に入省。主にケンブリッジ大で研究。ケインズは、哲学者ウィトゲンシュタインとも親交があった。対するシュンペーターは大学教授であるが、オーストリア財務大臣を務めたり銀行の頭取に就任したりしている。最後は渡米しハーヴァード大学教授となった。シュンペーターケインズの主著『一般理論』に対して強い批判を行ったことでも知られている。

ケインズシュンペーターの著作に丁寧に言及

本書は両者の処女作に始まって、シュムペーターの主著『経済発展の理論』、そしてケインズの三部作『貨幣改革論』『貨幣論』『雇用・利子・貨幣の一般理論』について解説。この中で私が関心を惹かれたのは『一般理論』で、読んだことはないが『一般理論』によってケインズ経済学(あるいはマクロ経済学)が打ち立てられたと考えると、相当にセンセーショナルな本だったのだろう。ケインズ有効需要については、ロバートソンという経済学者の「需要の飽和」が先駆だと書かれていて、この指摘も面白い。
特にケインズの「有効需要」やシュンペーターの「イノベーション」について、紙幅を割いて丁寧に説明する。発表当時におけるアカデミズムへの受け止められ方、そして現実の経済政策への影響、それぞれの理論に対する批判など、記述は詳細に亘り、経済学史の勉強にもなる。

イノベーションで資本主義経済のダイナミズムをえぐる

シュンペーターはわずか29歳で『経済発展の理論』を書いた。著者によれば、本書によってシュンペーター経済学が完成したというのだから、彼は相当に早熟な天才だったのだ。シュンペーター親日的な学者で、来日までしている。シュンペーターには日本人の弟子までいて、中山伊知郎東畑精一である。中山らは『経済発展の理論』の邦訳を務めた。文字通り愛弟子だった。

『経済発展の理論』にはシュンペーターの重要な概念であるイノベーションが確立されている(当時はイノベーションではなく、新結合という用語だった)。イノベーションという概念で資本主義経済のダイナミズムの本質をついたことは興味深かった。ただ、著者がいうように不況とイノベーションとの関わりを論じたところは、確かに私もよく分からない。不況は、好況の撹乱によって変革された与件に適応した新均衡状態に接近しようとする苦闘なのだとか…不況を必要悪とでもいうべき捉え方もさっぱり分からなかった。しかし、需要不足後の経済(不況)にあって、企業が新しいモノやサービスをイノベーションすることで、不況を脱せよという提言は良いと思った。

ケインズシュンペーターの統合?

著者は本書の最後に、ケインズシュンペーターの統合について触れる。それが本書の骨子ではなかろうが、何やら面白いような気配がする。ケインズの説く有効需要と、シュンペーターの説くイノベーションを合体させ、「需要創出型のイノベーション」という成長モデルをつくったのだそうだ。詳しい説明がなかったのは惜しいところだが、ケインズシュンペーター経済学の統合の試みとしてチャレンジングであろう。

【書評】 人生にゆとりを生み出す 知の整理術 著者:pha 評価☆★★★★ (日本)

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

著述家のphaの自己啓発本。本書のテーマは知識を獲得したり、整理したりするためにはどうしたら良いか、著者の具体的な考えが披瀝されていた。知識と思考の技術の自己啓発本というところか。

しかし、大抵は私が若い頃に試していたものばかりで、真新しさはなかった。というか、成人で知識欲があって、効率性を考える人なら、著者が本書で書いているようなことは経験済みだろう。
図書館で借りて読めば十分だ。

そもそも、本書は一体誰に向けて書かれた本なのだろうか。phaに対して私はあまり知性を感じたことはなくて、ニートの星みたいにフラフラしている姿が好きだっただけである。大方の読者もそうではないか?彼の経歴や著作を読んでも、ある種蛭子能収のような変人を見るような面白さはあるが、知性は感じにくい。未だに京大卒元ニートという看板も、いい加減飽きてきてしまったのだが…

知識と思考の技術の自己啓発本なら、山口周の『外資系コンサルの知的生産術』を勧める。

【書評】 沈める滝 著者:三島由紀夫 評価☆☆☆★★ (日本)

沈める滝 (新潮文庫)

沈める滝 (新潮文庫)

人工的な愛の完成を目指す

『沈める滝』は三島由紀夫の長編小説。1955年刊。女性を愛することのできない男・城所昇は美男子で、ありとあらゆる女性から求愛され、それに応じるが、1人の女性とセックスに応じるのはただの1度だけ、特定の恋愛を継続させることがなかった。昇はダムの設計技師で、ある電力会社に勤めるが、そこは祖父が会長をしていた会社である。資産もあり家柄も良く眉目秀麗で女に求愛される城所昇は、女性を愛せない。ある時、人妻・顕子に出会う。いつもの感覚で顕子の肉体を求めた昇だが、顕子は不感症で性的に全く感じることのない女だったのだ。昇は顕子と、人工的な愛を完成しようと約束する。

三島由紀夫らしい愛の倦怠感

『沈める滝』で描かれている愛の倦怠感は、『音楽』『禁色』などでも描かれた三島の重要なテーマである。『音楽』は露骨な精神分析で退屈な代物だったが、『禁色』ではそれは、主人公・悠一の内面を深く掘り下げ、また、愛の倦怠感と芸術性とが混交する独特さで、三島の手腕が冴え渡る傑作となった。『沈める滝』における愛の倦怠感は、人工的な愛の完成を求めるもので、それを相手の女性と共に成し遂げるところに独特の香りがある。人工的な愛を完成させるため、昇は人妻の顕子と合わずに、手紙や電話などの間接的コミュニケーションのみで愛を完成させようとする。

雪に閉ざされたダム建設現場

ダム設計師である城所昇は、ダム建設のため新潟県のダム建設現場に行く。元会長の息子である昇は、会社に優遇されている立場だったが、昇は自ら志願して現場に赴いたのだった。それには、顕子との人工的な愛の完成のため、物理的に会わない環境を作る必要があると考えた。しかもダム建設現場は豪雪となり、昇は他の社員たちと共に閉じ込められることになってしまう。雪のお陰で、文字通り顕子と会えなくなる環境が作られた。

私は、間接的コミュニケーションや、環境設定は失敗だったと思う。「人工的な愛を完成する」というテーマは面白いが、直接顔を合わせながら、人工的な愛を完成する方が困難だし、それゆえに小説は面白くなっただろう。会わないより、会った方が感情の交流がある分「人工的な愛の完成」が困難になるゆえに、感情をどう制御するかが難しくなり物語性が高まったと思うのだが。

「自然に」男を愛するようになった女の自殺

顕子は徐々に昇を愛するようになってしまい、夫との離婚さえ決断する。しかし昇は同僚に「あの人は感動しないから、好きなんだ」と言っていて、それを聞いた顕子は絶望して自殺する。このエピソード自体は良いものの、上述の通り、それまでの展開が今ひとつなのであまり高い評価にはできない。「人工的な愛の完成」というテーマは良いし、昇に翻弄された顕子が絶望して自殺するというのも良いのだが、そのための材料やレシピが良くなかった。いくら料理人の腕が良くてもレシピや材料を誤っては旨い料理にはなるまい。どうもそういったところが『沈める滝』には感じられ残念だった。もうひとつ、がんばって欲しかったところ。