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【書評】 フロー体験 喜びの現象学 著者:ミハイ・チクセントミハイ 評価☆☆☆☆☆ (米国)

 

フロー体験 喜びの現象学 (SEKAISHISO SEMINAR)

フロー体験 喜びの現象学 (SEKAISHISO SEMINAR)

 

 会社で先輩が同僚と雑談をしている時に、フローという言葉を使っていた。単にフローと言えば流れだが、私にはその意味するところが分からず、口惜しいので、チクセントミハイの『フロー体験 喜びの現象学』を読んだ。先輩もこの本を踏まえて言っているらしかった。本書は心理学の書物だが脚注がない。脚注がないから学術的ではないとは言えないが、著者が冒頭で語る通り一般的な読者向けに書かれている。一方で著者の結論の学問的背景を知ろうとする読者のために、巻末に「注」が掲げられているので、著者の語る概念、主張についての根拠を知りたければ注を読むことで足りるようになっている。従って本書は、かゆいところに手が届く作品である。

 

『フロー体験』におけるフロー体験とは、「一つの活動に深く没入しているので他の何ものも問題とならなくなる状態」のことを言う。また、「その経験それ自体が非常に楽しいので、純粋にそれをするということのために多くの時間や労力を費やすような状態」、ないしは「正さねばならない無秩序や防ぐべき自己への脅迫もないので、注意が自由に個人の目標達成のために投射されている状態」を指す概念である。なぜフロー(流れ)という言葉を用いているかといえば、著者が調査をしている時に、どのような状態が最高の状態かを対象者に尋ねると、「流れているような感じだった」であるとか、「私は流れに運ばれた」などと言っていたからである(P.51)。

 

著者は、このような状態はどこでも発生し得ると言う。仕事、ゲーム、遊び、スポーツ、そして、退屈な日常、あるいは強制収容所の中でさえも。それらは人によって感覚が異なり、仕事にフローを感じる者がいる一方、リゾート地に行っても味気ないものと感じてしまうというような場合である。

 

本書の豊富な事例の中で私が気に入ったのは「逆境」と「仕事」についてである。

まず逆境だが、9章の「カオスへの対応について」の中で、逆境、悲劇、ストレス、うまくいかないことに直面した人間は、フロー体験をすることが出来るのか、出来ないかを論じる。予想通りに、出来るという結論が導き出されるが、豊富な事例の中で著者は、「生活からフローを見出す方法を知っている人は、絶望しかない状況をすら楽しむことができる」と言う。

 

すなわち、事故で半身不随となったり、身体に障害を持ったりしている人間が、目的を持ち意味のあるフロー体験に変換しているということの事例が盛り込まれているのだ。

 

9章の要約にまとめられている通り、「フローを体験するには、その達成に努めるべき明確な目標をもたねばならない」が、逆境、悲劇、ストレス、うまくいかないことに直面しても人間は、明確な目標をもち楽しい状態を維持することが出来ることが書かれていた。

 

私も30数年の生涯を振り返ると逆境の多い人生だったとは思うが、耐えるばかりではなかった。それよりも目標を明確にもって、適度にリラックスをしながら、それに向かって没頭し、まい進していたように思う(例えばブラック企業に勤めながら、必ず自分の満足する転職を果たす、という目標。その当時、私はブラック企業に耐えはしたがそればかりではなく、辛い自分の境遇をじっと見つめて自分はなんて辛く悲しい存在なのだろうと思う。そして心の中で滝のような涙を流す。そうすると鬱屈するのではないかと思われがちだが、涙を流すことがストレス解消に繋がるように、自分をかわいそうな存在だと同情することで、私はスッキリしていたのである)。顧みれば私は自らの経験を通して、何となくフロー体験をしていたのかもしれない。

 

 

そしてもう一つは「仕事」について。

仕事を辛いものと思っていた私であるが、転職して以来仕事を辛いとは思わなくなっていた。むしろ辛いどころか、目標に向かって仕事を行うことに、楽しいとさえ思うようになっていたのである。そしてその状態は、それ自体が楽しくて仕事をするために多くの時間や労力を費やして没頭しても、何ら問題だと思わなくなっていた。それをワーカホリックのように考えたこともあったが、それにしてもこの「楽しさ」については説明がつかない。

 

私は、ルーチンワークが好きではない(好きな人がいることも知っている)。人事の仕事をしていた時には定常的仕事が多く、仕事そのものを変えたいと思っていた。しかし職種を変えるにしても現在の仕事との接点がなければ転職することは出来ない。それで人事の仕事で、転職後も続けたい仕事はないか?と考えると、複数列挙出来た。例えば「研修の企画を考えること」、「採用計画を立てて予定人数を確保すること」、「人事制度改定の企画立案をすること」などが楽しい仕事として挙げられた。それらはすべて、「何かを考える」という仕事であり、それらを専門的に行う仕事となると、人事コンサルに繋がった、という訳である。

 

それらを楽しいと思うようになったのは、転職先で実践してからだが、なぜ仕事に没頭することが楽しいか、そもそも、楽しいと言って良いのか、今まで分からないでいたのであるが本書で明瞭になった。 

本書はフローという概念を使って、仕事を通じて人間がフロー体験をし得ることを明言する。それは、私の経験とも合致する。これは断じてワーカホリックではなく、目標達成を志向して自発的に仕事に向かっている状態なのである。この概念を現在の働き方改革などと共に経営に活かせば、社員に自発的な働き方をするように仕組むことも出来よう。

 

 

フロー体験を学習と結びつけているところも非常に興味深かった。

 

4章の「フローの条件」で、著者はテニスの練習を通じたフローについて説明する。

 

アレックスが初めてテニスをする時、彼はネットの向こうにボールを打つことしか出来ない(A1)。難易度は低いが、それは彼の未熟な能力と合致しているから、アレックスはテニスを楽しむことが出来るのである(フローの中にいる)。

しかし練習を続けることによって、アレックスは能力が高まり、A1の練習に退屈し始める(A2に移行する)。またはアレックスは、彼より高いテニスの能力を持つ者と出会い、不安を感じる(A3に移行する)。A2、A3のどちらにしても彼は、フロー状態に留まることが出来なくなってしまうのだ。

 

アレックスが退屈しているなら、彼の挑戦の水準をあげることで、フロー状態に移行させることである。あるいはアレックスが不安なら、彼の能力を高めることで、フロー状態に移行させることである。そして彼は、もう一段高いフロー状態であるA4に移行するのである。

 

これは目的を明確にした学習の効果である。仕事でも、試験勉強でも、あるいはスポーツでも、人間は学習することで能力を高め、挑戦の水準を高めていく。それには必ず目的がなければならない。段階的に引き上げられる短期的な目的(例えば試験科目の数Ⅰをマスターする)もあろうし、もっと高い長期的な目的(例えば医大に合格する)もあろう。

しかし目的だけであれば機械的であるし、人間は継続して行い得ない。著者が言うように、喜ばしいフロー状態を作ることによって、人間は高い学習効果を上げることが出来るのである。学習の中にフロー状態を作る、ということ、それはマニュアル的にこうすればフロー状態たりうるとは言えないし、個人ごとに違うが、それを練習して体得していき、自然にフロー状態を作っていければ、学習効果は高まるのではないかと思う。

上記は勉強について述べたが、仕事においても同様であり、経営に活かすことも出来るはずである。単に残業削減をするだけでは生産性が上がるはずもないのだし、給与を上げるだけでも生産性は高まらない(一時的には向上するだろう)。仕事そのものに楽しさを覚えなければならない。フロー体験は多くの応用が利く概念であった。