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【書評】 サド侯爵夫人/朱雀家の滅亡 著者:三島由紀夫 評価☆☆☆☆☆ (日本)

サド侯爵夫人 朱雀家の滅亡 (河出文庫)

サド侯爵夫人 朱雀家の滅亡 (河出文庫)

『サド侯爵夫人』は三島戯曲の代表作

普段、映画は見るのに演劇を見ない私が戯曲を活字で読むはずがない。それでも読んだのは、三島由紀夫の著作だからである。三島由紀夫のあまたの長編小説を読んできた私は、彼の小説の地の文の詩的なレトリックに酔わされていた。同時に彼は、小説のセリフにも意識を込めて書いていた。詩情、諧謔がセリフの端々に満ちている。戯曲はセリフとセリフで構成される。俳優の織り成す演技が物語を展開せしめるために、セリフは重要なパーツである。戯曲に関心がなかった私が三島の戯曲なら読んでみようと思ったのは、小説のセリフに感心していたからだ。

三島由紀夫のライフワーク『豊穣の海』を読み終え、三島のほとんどの長編小説を読了した私は彼の戯曲に手を伸ばす。何を読んだら良いか。三島由紀夫は劇作家としても著名だった。『サド侯爵夫人』『わが友ヒットラー』『近代能楽集』『黒蜥蜴』など多数がある。どれを読んでも良いが、『サド侯爵夫人』が気になった。この作品は、女性6人の会話劇で『サド侯爵夫人』というタイトルなのにサド侯爵本人が出てこない作品なのである。これは面白そうだと思った。

すぐに引き込まれた。サド侯爵とは作家マルキ・ド・サドのことで、彼の作品はサディズムという言葉の由来となった。サドは小説でサディスティックな暴力描写を描いただけでなく、実生活でも性的に乱れた生活を送った。性犯罪や暴力の廉で長い間投獄生活を送った18世紀のフランスの作家である。

『サド侯爵夫人』は、サド侯爵夫人ルネの謎に迫った作品である。謎というのは、ルネは18年近くに亘り貞節を守り、誰からサドを悪く言われようとも夫を信じてきたのに、サドが牢屋から解放され自宅である城に帰ってきたら絶縁するという謎だ。その謎の解明を試みると共に、女6人の会話だけでその場にいないサド侯爵の人物像を語る傑作である。私は他の三島戯曲を読んでいないのに、『サド侯爵夫人』が三島戯曲の代表作だと感じた。

女6人の会話だけでサド侯爵を語る術

舞台はパリのモントルイユ夫人邸のサロンである。戯曲は3幕で時代の流れを経るが、舞台はずっとサロンで変わりない。そこに、サド侯爵夫人ルネ、ルネの母モントルイユ夫人、ルネの妹アンヌ、サン・フォン伯爵夫人、シミアーヌ男爵夫人、そして家政婦シャルロットの6人がいる。登場人物は彼女ら6人のみで、サド侯爵本人は現れない。6人の会話だけでサド侯爵の人物像を語るのだ。

それぞれの人物は何かを象徴している。サド侯爵夫人ルネは貞淑、モントルイユ夫人は法・社会・道徳、アンヌは無邪気・無節操、サン・フォン伯爵夫人は肉欲、クリスチャンであるシミアーヌ男爵夫人は神、シャルロットは民衆を象徴する。

モントルイユ夫人は厳格な母親である。牢獄からの解放を願う娘ルネの心情を汲み取り、サン・フォン伯爵夫人に要請して解放してもらおうとする。しかし、モントルイユ夫人は画策してサドを再逮捕させてしまうのだ。彼女は法・社会・道徳を重んじる女性なので、ルネにはサドと離婚して欲しかったのである。それを知ったルネは激怒し、モントルイユ夫人は秩序に外れた人間を憎悪し絶対に許さないのだと言った。

このように、モントルイユ夫人は法・社会・道徳を重んじる余り、サドには辛らつである。サドを再逮捕させるまでに厳格に接する訳だ。一方、サド侯爵夫人ルネはサドに貞淑を近い、戯曲の最後の方まで彼を信じる。サン・フォン伯爵夫人は肉欲に象徴され、サドに近い人物として共感的に語る。シミアーヌ男爵夫人はクリスチャンで、サドについてはキリスト教の立場から達観的に語る。シャルロットは民衆を代表して、フランス革命後に、ルネの引導を渡す役を担う。

女6人の会話だけを通じて、サド侯爵を多面的に描き出す三島由紀夫の手腕は非常に冴えていた。サドはただの一度も舞台には上がらないのに、彼の存在感は圧倒的なのである。

人物像は主観によっていかようにも変わる

私は『サド侯爵夫人』を読んで、人物に対するイメージ(人物像)がいかに主観に捉えられているかを改めて知った。女6人の価値観が異なれば、人物像がいくらでも変わるのだ。サドに対するイメージは、肉欲とか反道徳が近いだろう。だからモントルイユ夫人やサン・フォン伯爵夫人の主観がサド侯爵の人物像に近い。しかし、そこにルネ、シミアーヌ男爵夫人が関わってくると人物像にも多面性が備わってくる。

サド侯爵が放埓な生活を送り、犯罪者として投獄されようとも、ルネは彼を信じる。サドは娼婦と寝るばかりか、妹のアンヌとまで性交するような、獣のような男である。そんな男に対して貞淑を誓うルネがいることは、サドにも貞淑性なるものが帯同しているように思える。サドを巡る時にルネが関わることで、サドの人物像にも貞淑性を感じさえするのだ。

貞淑の徹底、「ジュスティーヌは私だ」

『サド侯爵夫人』は、最終幕で大きな変化を見せるように見える。ルネは浮浪者のようにみすぼらしい姿で自宅を訪れたサドに、会わないと断言するのだ。家政婦シャルロットに命じ、「侯爵夫人はもう決してお目にかかることはありますまい」と伝えさせる。これは、サド侯爵夫人ルネが貞淑ではなくなったことを意味するように思うが、そうではない。ルネの貞淑は最後まで変わることはない。むしろ貞淑の徹底した姿が、この別離の宣言に現れているのだ。

それを知るには、別離の前のシーンを見るべきだ。ルネは母親のモントルイユ夫人と話している時に、サドが獄中で書いた『ジュスティーヌ』という小説を引き合いに出す。この小説は姉妹の物語で、美徳を守り続けた妹ジュスティーヌが不幸に遭い続け悲惨な最期を遂げるという結末になっていた。ルネは、「ジュスティーヌは私だ」と悟る。そして、自分はサドの創り出した物語の住人に過ぎないと感じた。さらにルネは、神がサドに命じてこのような世界を創り出した(サドの創った世界に支配される)かもしれないとも思う。

それゆえルネは、修道院に入って、神に残りの人生を捧げることにしたのだ。神に人生をささげれば、神がサドに世界を創らせようとしたか否かが分かるだろうから。ルネには、サドを愛さなくなったのではなく、サドの創り出した世界から脱することをもくろむ訳でもなく、むしろその世界に安住することを選択している。ルネはサドとの別離を選んだが貞淑ではなくなったのではなく、彼女はむしろ貞淑を徹底している。

サドとは何者か

『サド侯爵夫人』の特異性は、人物像が他者の主観によっていかようにも変わる点にあるが、読者が、そもそも人物像とは、本当に捉えられるのか?という疑念を抱くことにもある。つまり他者がどのように人物像を捉えても、そこには対象となる相手(サド)は蚊帳の外にあるような気がするのだ。

「ジュスティーヌは私だ」と言うルネと、サド侯爵とが面と向かってコミュニケーションを取る場面は遂に現れない。サドが、「私はそんな人物じゃない」と言えば、そこで人物像は変遷を迫られるか、あるいは瓦解することもあろうが、サドが出てこないので、本当の人物像は分からないともいえる。だが、サドが出てきたところで、人物像を解釈するのは「この私」なのだから、永遠にサドとは何者かということは、分からないかもしれない。だから、「そもそも人物像とは、本当に捉えられるのか?」という疑念を抱いたところで、サドが出てきても人物像はつかめないかもしれないのだ。

だから『サド侯爵夫人』が取った人物像の多面性は、1つの理解の仕方であるが、そこにサド本人が出てきても、出てこなかったとしても、サドの人物像は永遠に分からないかもしれない。人物像のつかめなさを、この戯曲はじっくりと教えてくれる。

『朱雀家の滅亡』は小品

『サド侯爵夫人』と同時に収録されている『朱雀家の滅亡』は、天皇に対する忠義を描いた作品。朱雀侯爵という華族の家柄に生まれた長子・経広(つねひろ)が、戦時中、自ら危険な任地に赴いて戦死する姿を描く。

伯父の光康、女中だが経広の実母であるおれい等は、経広の危険な任地への赴任を回避する方法を画策する。しかし、経広と経広の父である経隆(つねたか)は、何としてでも天皇への忠義を徹底しようとするのだった。

『朱雀家の滅亡』は小品である。経広の天皇への思いは感じるのだが、経広の死後、おれいによる経隆への批判、同じく、経広の恋人による経隆への批判はくどくどしくて、退屈だった。物語は経広の死をもってピークに達し、そこから物語が変遷する訳でもない。戦後の日本に対する著者の批判めいた表現は興味深く読めたが、経広亡き後の『朱雀家の滅亡』の物語の深まりはなかった。

『朱雀家の滅亡』と共に語られる三島の短編『憂国』は、主人公夫妻の死をもってピークに達して結末を迎えるので緊張感を持って終わるのだが、『朱雀家の滅亡』は緊張の糸が切れて、あとはだらだらと物語を無理やり長引かせているような気がしてならなかった。評価☆☆☆☆☆は、『朱雀家の滅亡』に対するもの。

【書評】 告白 三島由紀夫未公開インタビュー 著者:三島由紀夫 評価☆☆☆★★ (日本)

告白 三島由紀夫未公開インタビュー

告白 三島由紀夫未公開インタビュー

『告白』は死の9か月前に収録された三島由紀夫の未公開インタビュー

本書は三島由紀夫の未公開インタビューと、エッセイ「太陽と鉄」を収めたもの。「太陽と鉄」は三島らしい詩的なレトリックに満ちた文章で、ちょっと難解である。

インタビューの方は、1970年2月19日に収録された。このインタビューのテープは、TBSの元記者がTBSの社内倉庫で発見した貴重な資料である。テープが発見されたのは2013年なのだが、報道されたのは2017年。なぜこんなに時間が経過したかというと、専門家や遺族への取材に時間を費やしたからだった。

テープは1時間20分に及ぶもので、三島由紀夫と聞き手であるジョン・ベスターとのやり取りが行われていた。ジョン・ベスターは翻訳家で三島の「太陽と鉄」も訳している人物だ。英語が話せる三島だが、ふたりは日本語を介している。

1970年2月19日。これは何の日か。三島が自決したのはその年の11月25日だから、9か月前のことである。そして三島の最高傑作『豊饒の海』の第三巻『暁の寺』を書き上げた日にあたる。なぜそれが分かったかというと、三島がインタビューでそう話しているからだ。

インタビューの目的は、翻訳家であるベスターが「太陽と鉄」を訳したが、この作品について三島に確認したいことがあって実現したものであった。インタビューの内容を読むと、「太陽と鉄」に関わらず、三島の文学観や死生観などが率直に語られていて興味深い。また、「はっはっは」と豪快に笑う、三島の豪放な振る舞いがセリフのそこかしこに現れ、三島の愉快な一面を見たように思う。

このインタビューを読んで、清冽な感動を受けるとか、芸術家の感性に浸るとか、そういった感覚的な印象は強く持てないので評価は標準的としているが、三島由紀夫の作品が好きな人なら、決して素通りしてはいけないインタビューであろう。

豊饒の海 第三巻 暁の寺 (あかつきのてら) (新潮文庫)

豊饒の海 第三巻 暁の寺 (あかつきのてら) (新潮文庫)

小説のマテリアルは言葉、そして漢文学の教養の大切さ

インタビューを読んでいて私が思ったのが、小説を書く上で、三島が言葉に強い思いを抱いていることだ。彼は「小説のマテリアルは言葉」だと言い切る。人生や思想は素材に過ぎないと。だが三島は、最近の日本の作家はそう感じていない。そういうところが他の作家と自分とを隔てる点だと言う。

私も三島由紀夫の熱心な読者だが、確かに彼の小説は言葉を大切に扱っている。言葉でしか小説を書き始めることはできないのだから、本来、言葉を大切に扱うことは当然なのだろうが、そのためには教養がなければならない。教養がないと言葉が書けない。そうなると畢竟、言葉を粗雑に扱うことになる。

三島の小説を読むと漢文学の教養があることに気づかされる。彼はインタビューで日本の学校教育の話になり、「漢文学の教養がだんだん衰えてきました。それで日本の文体が非常に弱くなりました」と言っていた。

三島はつまらなくても論語を暗唱させるなどして、日本人の頭の中に漢文を定着させることが大切だと言う。三島の小説の言葉から感ぜられる漢文学の教養の深みを思うと、教育において漢文学を強化することは重要な感じがする。

三島文学の欠点は「劇的すぎること」なのか

聞き手のジョン・ベスターは、大胆にも三島にあなたの文学の欠点は何か?と聞く。三島は「劇的すぎること」だと答えた。三島文学の特徴は、言葉は日本で構成は西洋である。三島が法学部卒の元官僚という背景からしても、論理性を愛したことは想像に難くない。

三島は最初から最後まで物語の構成の見通しを立ててから、小説を書くのであろう。それは、彼の小説の特徴でもあるが、「流れのままに文章になる」ことはできまい。それで三島は欠点だと指摘する。

私は三島から論理的な構成力を奪ったら、彼の文学の魅力はだいぶ乏しいものになると思う。それは彼も分かっていたことだろうが、流れるままに書けないことは彼の文学で「できないこと」なのだからもしかしたら欠点なのかもしれない。読者である私には、論理性は彼の文学の魅力なので、それを奪ってしまっては三島文学たりえないのではないかと思うのだが。

まあ恐らく、ベスターに「欠点は何か?」と尋ねられたから答えたまでのことで、日本文学の構成力の薄弱さを皮肉っているあたり、本気で自覚している訳ではなさそうだ。

三島の行動の意味を知りければ「太陽と鉄」を読め

三島由紀夫の小説は、ストーリーがしっかりしている。『豊饒の海』は謎めいているが、あれは特例で彼の小説の多くは難解なところは多くない。一方、三島の行動についてはつかめないところも多い。なんでこんな行動を取るのか。楯の会しかり、ボディビルしかり、奇妙な洋館しかり、映画出演しかり。そういった行動の意味をさぐるには、「太陽と鉄」を読めば良いのだと言う。

聞き手のジョン・ベスターが「太陽と鉄」を訳したこともあってか、彼は「太陽と鉄」を読めば行動の意味が分かるという。「太陽と鉄」は分かりやすい作品ではないが、三島の行動の意味を知るには良い素材なのだろう。

死生観の変化

『告白』というインタビュー中で最も重要な個所と思われるのは、以下のセリフだろう。

死の位置が肉体の外から中へ入ってきたような気がする。

三島はボディビルをやっていた。そのことで彼は、死が外側にあった。だがボディビル、あるいは武道などを通して肉体を作った。すると三島は、外側にあった死が内側へ入ってくる感覚を覚えたのだという。死生観の大きな変化を読み取ることができる。死を恐れなくなった自覚という気さえ起こる。それは、9か月後に迫る割腹自決を知っているからこその、邪推かもしれないのだが。

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【書評】 ミンツバーグ教授のマネジャーの学校 著者:フィル・レニール、重光直之 評価☆☆☆★★ (カナダ)

ミンツバーグ教授の マネジャーの学校

ミンツバーグ教授の マネジャーの学校

マネジメントの現場こそマネジャーの学校である

ある日突然、自分の会社が買収されたらどうしようか?尊敬している上司が辞めさせられ、そして強烈なリストラが起こり、新しく出向してきた上司は「コストカッター」で、社員の激しいモラルダウンを引き起こしていたら?誰だってどうしたら良いか分からず疲弊してしまうことだろう。著者フィル・レニールはそんな局面に遭遇した。困り果てたレニールは、母の再婚相手に助言を求めた。その再婚相手の名はヘンリー・ミンツバーグ。世界的に名高いカナダの経営学者だった。

義理の息子に、ミンツバーグの出した答えはこれ。「お互いの経験を振り返って語り合い、内省する時間を持つといいだろう。リフレクション、だ」というシンプルなものである。マネジメントの問題を解決するには、内省が必要だということである。

上記のミンツバーグのアドバイスと、ミンツバーグの著書『MBAが会社を滅ぼす』、そしてミンツバーグらが提唱していた国際マネジメント実務修士過程プログラムの資料を元に、レニールは会社のマネジメントを変革しようとする。当初は「マネジメントの勉強会」からはじめたが、遂にはマネジャーのマネジメント力を高めることに成功した。本書ではマネジメントの変革活動を「コーチング・アワセルブズ」という。

本書はケーススタディや経営理論に依存するのではなく、マネジメントの現場からマネジャーが学べる多くのことを教えてくれる。日々、マネジメントに追われているマネジャーには学びが少ないだろう。ミンツバーグがレニールに語った答えのように、一歩立ち止まり内省することこそ重要なのだ。マネジメントの現場こそマネジャーの学校なのである。

著者のフィル・レニールはミンツバーグの義理の息子

著者のフィル・レニールはヘンリー・ミンツバーグの義理の息子にあたる。レニールは、マネジャーとして勤めている会社が買収され、危機的な局面に陥った。誰しも困り果てて疲弊し、現前する難題から逃げたくなるだろう。

レニールは運が良かった。母の再婚相手が世界的な経営学者であるミンツバーグだったのだ。相談しようと思えば相談できる位置にいる。羨ましい限りだ。しかし、本当に「運が良かった」だけなのか?もしレニールが、現前する難題から逃げてしまったらどうなるか?いくら母の再婚相手が経営学者だったと知っても、相談しようと思わなかったかもしれない。

レニールが行動したことが彼の突破口となったのだ。家族にミンツバーグがいたのは幸運で、彼はそのチャンスを逃さず難題を切り開いていった。レニールは、コーチング・アワセルブズを通じてマネジャーが成長していく現状を見た。マネジャーたちの中には、人生を変える者も出てきた。マネジメントに関心がなかった者がマネジメントのキャリアを目指したり、畑違いの職種に進む者も出てきたりした。彼らに共通するのはレニールと同じく行動である。

コーチング・アワセルブズをいくらやったって行動しなければ何も変わらない。レニールもマネジャーも行動が引き金となったのだった。

フィル・レニールのストーリーから分かるマネジメントのあり方

フィル・レイールの実体験から分かるマネジメントのあり方は、マネジメント体験を共有することから始める。最初は愚痴の言い合いでも構わない。感情を共有することが大事だと言う。その上で客観的に見ていく。すると徐々に主体的にマネジメントを捉えることができるようになる。

マネジャーが主体的にマネジメントを捉えることの意義は、マネジャーの現状があるからであろう。マネジャーには大した裁量がない。著者も書いているように、特に大企業ではそうだろう。

コーチング・アワセルブズでは、マネジャーの体験を内省することを大切にする。アクションラーニングの問題解決手法に似ているが、マネジメントの変革に力を入れているところに特徴があって面白い。

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また、共著者の重光直之は、コーチング・アワセルブズの特徴としてマネジャー同士の繋がりが重要だと指摘している。確かにミンツバーグも古くから、『マネジャーの仕事』(1973年刊)でマネジャー同士の繋がりの重要性に触れていた。

マネジャーの仕事

マネジャーの仕事

マネジャー同士の繋がりの重要性については、重光の以下の文章が参考になる(本書87ページ)。

ミドルはトップマネジメントほどの権限はないが、現場を熟知しており、会社の課題と、それをどう変えるべきかを把握している。しかし、同時に一人でやれることも限られている。だから、ミドルマネジャー同士のコミュニティが必要なのだ。

会社はどうなった?

コーチング・アワセルブズはマネジメント変革を目指した人材開発のメソッドである。本書にはマネジャーの変革の積み重ねが職場や会社を巻き込んで変えていくとまで言っている。だが、人材開発だけで会社を変えられるほどの力があるのかは疑問だ。

結局、著者レニールの会社がどうなったのだろうか?組織風土も、職場も会社も変わったのかもしれないが、どうもそこらへんについては文章を多く割いていないのが残念だった。発端はマネジメント変革だったとしても、コストカッターの上司をどう動かしたのか?会社が変わるには社長をも動かさなければならないが、どう動かしたのか?動かしてどうなったのかについては触れられていない。

風が吹けば桶屋が儲かる式に、マネジャーが変われば会社が変わるのだとしても、そこには人事制度や会社の一般的なルール、組織の変革などを経て「会社が変わる」のだろうが、そこらへんは何も触れられていない。人材開発は1つの手段なので、コーチング・アワセルブズだけで上手くいく訳はないはずだ。

だから本書を読み終えて、確かにコーチング・アワセルブズは魅力的な人材開発の手法であることは分かる。しかし人材開発以外に「開発」すべき点に触れないと不誠実な感じがする。コーチング・アワセルブズの魅力は伝わるが、その宣伝本のような印象を持ってしまった。

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【書評】 豊饒の海 第二巻 奔馬 著者:三島由紀夫 評価☆☆☆☆☆+☆☆ (日本)

豊饒の海 第二巻 奔馬 (ほんば) (新潮文庫)

豊饒の海 第二巻 奔馬 (ほんば) (新潮文庫)

豊饒の海』第二巻『奔馬』は右翼テロリストの物語

豊饒の海』は夢と転生の物語である。その第二巻は『奔馬』といい、右翼テロリストの飯沼勲(いいぬま・いさお)の物語である。飯沼勲は、第一巻『春の雪』で控え目ながらも読者に印象を残した飯沼茂之(いいぬま・しげゆき)の息子。

時代は第一巻から20年後の日本。物語は裁判官となった本多繁邦(ほんだ・しげくに)の視点で始まる。飯沼勲は剣道に秀でているので、本多が勲が出場する剣道大会を見たことから、ふたりの運命が交錯する。

右翼テロリストというと、昭和初期の血盟団などの右翼テロリストをイメージさせる。しかし読者は三島由紀夫民兵組織楯の会を結成したことを知っている。その後の自殺(三島事件)を知っている。そして、三島事件の後に現れた新右翼の存在も知っている。三島を右翼と切り離して考えることが難しいのだ。

だから本作を、客観的に右翼テロリストを描いているように見えて、三島の周辺の出来事(死後も含めて)と無関係には捉えられない。

右翼テロリストを法律的に、また、倫理的に糾弾することはたやすい。しかし勲が行動や発言からは、彼の天皇に対する忠義は真正のものを感じる。そこにはどうしても、モラルを超えた日本人の血の伝統が流れているのを感じざるを得ない。

奔馬』の飯沼勲は松枝清顕の生まれ変わり

奔馬』は裁判官になった本多繁邦の視点で物語を書き始められている。本多は、第一巻『春の雪』で主人公松枝清顕(まつがえ・きよあき)の唯一の理解者となった人物だった。『春の雪』でも重要な役を演じているが、『春の雪』では主人公の感情や行動を受け入れるのみで、自ら進んで行動してはいなかった。結果的に彼の消極性が清顕を救えなかったと後悔する本多は、『奔馬』では自分の人生を投げ打ってまで行動した。

それは、物語の後半で逮捕された飯沼勲を救おうとして、裁判官の職を投げ打つことである。投げ打って弁護士となった本多は、勲のために奔走する。しかし、なぜ本多は勲のために職を捨ててまで救おうとするのか。確かに、勲の父である茂之と本多は若い頃に面識がある。清顕の教育係だったからである。その程度の理由でここまで行動的になれるのか。

実は、勲は松枝清顕が生まれ変わった姿なのだ。最初は「又、会うぜ。きつと会う。滝の下で」という、清顕が死の間際に本多に言い残した言葉を頼りに、清顕の転生を信じていた。確かに滝の下で本多と勲が会うシーンがあるからだ。それに勲には、清顕と同様、わき腹に三つのほくろがある。

だが、それだけで勲が清顕の転生した姿と考えることはできない。法律家という仕事に就いている本多が、そんな非合理的根拠で納得させられようもないからだ。

本多は清顕が残した夢日記を読む。夢日記を勲が体現する場面があり、そこで遂に本多は、勲が清顕の生まれ変わりだと確信するようになったのだ。それゆえにこそ、本多は飯沼勲の裁判に関わり彼を弁護しようとする。

神風連に憧れた右翼テロリスト

飯沼勲は多くの若者を引き連れて右翼集団を結成した。地方から出てきた若者もいる。勲は神風連を扱った書物を座右の書としていた。彼はその書を本多繁邦に見せたり、宮にまで見せたりしていた。

勲と右翼集団を結成した若者たちは、昭和の神風連たらんとしていた。彼らは政権を天皇に引き戻すべく、テロリズムを厭わない。蔵原武介などの著名な財界人を殺すことで、世を清めようとする。世を清めたことが直ちに天皇に政治の主権が移行することを意味しないが、既に右翼的行動に熱狂している彼らには、自覚することはできない。

奔馬』では女が美しい死の邪魔をする

奔馬』には鬼頭槇子という女性が出てくる。年の頃32、3歳の出戻りの女性。彼女は軍人の娘にして歌人である。槇子は美しく聡明な女性であり、勲の恋人でもある。勲がテロを決行することを誓って、この世の別れのために会いに行った時、ふたりは初めて抱き合いキスをする。清顕と聡子のような性愛はないが、この世の別れに槇子に会いに来た清顕の純粋さが美しい。

最初、清顕は槇子の家を尋ねた理由を明らかにしない。しかし槇子は、清顕が何しに自宅を訪れたかを知っていた。この世の別れに来たのでしょうと聞く槇子。そしてふたりは抱き合ってキスをして、最後の別れをする。

だが、槇子は勲を失うつもりはなかったのだ。彼女は、勲が「美しい死」を選ぼうとしているのにそれを妨げようとしていたのだ。

テロ決行の直前、あっけなく飯沼勲たち右翼は逮捕されてしまう。警察に密告したのは勲の父・茂之であることが分かるが、茂之に告げた人物がいたのだ。それが鬼頭槇子だった。

美しく死のうとしている勲を邪魔するのは、ほかならぬ槇子だったのだ。

飯沼勲の自決

飯沼勲は、1年間に亘る裁判を経て出所する。まだ控訴される可能性はあるが、とりあえずは出所できた。勲は警察に密告したのが父親であり、しかも父親に知らせたのが鬼頭槇子であることを知った。

勲は元より、テロを実行するつもりだった。槇子という恋人がいても彼女と思いを遂げることなく、テロを実行して割腹自殺しようとする。しかしテロは槇子と父親の手により失敗してしまう。槇子の父親への知らせは勲に衝撃を与えた。いずれテロを実行するつもりの勲だが、槇子の密告はテロの遂行を早まらせる結果となる。

彼は出所後の安定を選ぶことなく、ひとりで、蔵原武介を殺害して自決した。彼は本多に、「ずっと南だ。ずっと暑い。……南の国の薔薇の光りの中で。……」という言葉を残して死んだ。この台詞は次の転生の行方を示唆するものだろう。

愚かで、ばかばかしくも、美しい飯沼勲の死

勲の死は見事なものだ。私は勲が突如として逮捕されてから、物語がどのように進展するのか、はらはらしながら本書を読んだ。結果的に勲はひとりで思いを遂げることになる訳だが、勲の死を迎えて、私は安心した。

私は勲の思いに共感して、美しい死を迎えてもらいたいと願った。そこには殺人というテロを認めなければならないが、倫理よりも法よりも、『奔馬』では美が勝る。そのためにはどうしても、勲は殺人を犯してでも死んでもらわねばならなかった。

勲の死は個人的な目的に貫かれていて、たやすく共感を呼ぶものではないだろう。殺人は許されることではないし、彼の死は愚かである。だが彼の天皇に対する忠義の深さが真に迫ってくることは、清冽な感動を与える。彼の行為は愚かで、ばかばかしいものであるが、それでもなお彼の死は美しい。三島由紀夫の唯美的な感性が、絢爛たる文体とひきしまった論理的構成とともに、勲の行動と死を通して、私の心に染み入ってくる。

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【書評】 豊饒の海 第一巻 春の雪 著者:三島由紀夫 評価☆☆☆☆☆+☆☆ (日本)

豊饒の海 第一巻 春の雪 (新潮文庫)

豊饒の海 第一巻 春の雪 (新潮文庫)

三島由紀夫最大の作品『豊饒の海

今回紹介する『豊饒の海』は、三島文学の最大の作品であり、しかも最後の作品である。全部で四巻の大著である『豊饒の海』の最後の原稿を書き終えた後、三島は市ヶ谷駐屯地で割腹自決している。

私は10代の頃から三島由紀夫の死について関心を持ち、彼の芸術よりも一層、三島の死に注目していた。その頃は『金閣寺』『仮面の告白』くらいの作品しか知らなかった。確かに作品も良いが彼の死に様がどうにも人工的で、それゆえに自身の死を芸術作品にさえ見立てるイメージが私につきまとい、三島は私の中で伝説的な存在となっていた。

だが20代になり三島由紀夫の小説を本格的に読み始めると、彼の死の芸術性は現前しながらも、小説に秘める芸術性にこそ私は惹かれるようになった。だから『豊饒の海』を今まで読んでこなかったのは、何か理由があってのことではない。単に大長編だったから読む機会を逸したというに過ぎない。

しかし、『豊饒の海』の第一巻である『春の雪』を読んでみると、これまでずっと読んでこなかったことが悔やまれた。それほどに、三島の研ぎ澄まされた言葉の感性、そして物語のパズルのピースを埋めるかのような構成の論理性に心打たれる思いがした。

『春の雪』はエンターテインメント性に溢れた芸術作品

三島由紀夫は多くの長編小説を書いた。『仮面の告白』『金閣寺』『潮騒』『禁色』『鏡子の家』など著名な作品から、『夏子の冒険』『お嬢さん』『命売ります』などのエンターテインメント作品まで幅広い。私は35歳を過ぎるまで三島のエンターテインメント作品には触れてこなかった。その理由は単に三島由紀夫の本領は、非エンターテインメント作品にあると思っていたからだ。

しかし、『春の雪』を読んでみると、作者の漢語の教養が表れる唯美的な文体や、皇族や侯爵などのたおやかな描写、明治大正の青年の凛々しくも儚い心情が描かれる一方で、「許されぬ恋」を魅力的なキャラクターを元に丁寧に描く物語の展開は目が離せない。エンターテインメント作品におけるはっきりとした起承転結が、『春の雪』には強く描かれているのだ。

だから『春の雪』は、芸術作品であることは紛れもない事実でありながらも、頁をめくる手を止められないほどのエンターテインメント性に満ちた魅力あふれる作品なのである。『春の雪』だけでも新潮文庫版で450頁を超える長大な作品で、これがあと三巻も書き継がれたのだから、三島の物語の構成力、展開力には舌を巻く。

潜在的な愛の露見

『春の雪』は、松枝清顕(まつがえ・きよあき)という19歳で侯爵の息子が主人公。清顕は学習院に通っているが、戦前の学習院は皇族や華族、資産家の子息などが通う学校で、清顕の友人も身分の高い者が多い。

副主人公にあたる本多繁邦(ほんだ・しげくに)も裁判官の子で、男性の中では本多が清顕の唯一の理解者にあたっている。清顕には聡子という年上の幼馴染がいて、子どもらしい誤解から彼女を遠ざけていた。聡子の方では清顕を愛しておりそれを彼も自覚しているのだが、それゆえにこそ遠ざけたりする。そんな様子も本多には打ち明けているが、清顕は本多以外の友人には心を打ち明ける素振りを見せない。「唯一の理解者」といえるゆえんである。

ある時、聡子が皇族の宮に見初められ、清顕の父が清顕に「構わないか」と確認に来るが清顕はそれでも構わないと言う。この時まで彼の中では、聡子は運命の女性ではなかったのだが、自分の手を離れて宮の妻になることが分かる(納采の儀を待つだけになる)と、彼女を愛するようになる。

尤も、清顕の聡子に対する愛はおそらく潜在的に存在していただろうが、絶対に届かない存在になる可能性が高まることで、聡子への愛に気づくといったところだろう。聡子への愛は潜在していたが露見したということだ。

豊饒の海』は夢と転生の物語

聡子への愛を自覚した後の展開は「昼ドラ」のようなどろどろした物語の展開を見せる。ふたりは、誰からも知られてはならぬ「許されぬ恋」を演じる。誰にも目につかない場所で逢引きをする聡子と清顕の情交は、エロスをほのめかす表現で留められながらも、むしろ具体的に性愛を描写しないからこそ、ふたりの吐息が感じられる官能的なシーンになっている。

聡子は年上の女性で、宮に見初められた身である。皇族の恩恵を受けて、長年生きてきた家系の娘である。それゆえに宮との結婚を優先し、清顕に諫める立場にありながらも、清顕との情交をやめることができない。

最終的に、聡子は妊娠までして、清顕と聡子の家族は狼狽するのだが、家族は愛よりも体面を重んじて聡子に堕胎させ、宮との結婚を破断にさせまいとする。しかし聡子は立ち寄った奈良の寺院で剃髪してしまい、二度と俗世には姿を見せないことを誓う。すなわち、清顕との愛も諦めるのだ。

最後は、清顕は聡子を追い求めて何度も寺を訪れるが、聡子は頑なに会おうとしない。既に出家した身の上ゆえに会わない訳だが、この徹底した俗世との隔絶が聡子の閉じられた愛の”歪な”完成形であり、聡子の愛の思念の中に、清顕が入る余地はなかった。

最後、本多に遺言をのこして死んでいく清顕は、「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」と言ってのける。本多は本気にしないが、『豊饒の海』は夢と転生の物語であり、清顕との邂逅はおそらく現実のものとなるであろう。それはまた、二巻に任せるとしよう。

存在感に溢れるキャラクター

『春の雪』に登場する人物は、主人公の松枝清顕とヒロインの聡子を中心に、強い存在感を持っている。清顕の友人の本多繁邦、清顕の教育係で書生の飯沼、聡子の召使の蓼科、清顕の父である松枝侯爵、清顕の祖母、シャムの王子などの誰もが強い存在感を持つ。尤も、この存在感は、小説を読む私に真に迫ってくる存在感の強さであって、これらの人物がおしなべて強い個性を有しているという意味ではない。

特に私が気に入ったのは清顕、飯沼、蓼科である。清顕は体を鍛えない代わりに、美青年で周りから「若様」ともてはやされている。聡子を執拗に愛することだけが、彼に託された使命であるかのように、彼は愛を貫徹するために徹底し命を賭す。魔に憑かれたかの如く聡子を求める姿は異様で、学習院の卒業試験を前にして、この男は生き続けることはなかろうと思うと、本当に命が尽きて病死している。

飯沼は『豊饒の海』の第二巻にあたる『奔馬』の主人公の父にあたる人物だ。物語の当初は、陰気で清顕を軽視しているが次第に愛敬の念を抱くようになる。みねという女中と恋愛関係になった科で屋敷を追い出されるが、若様である清顕に対する尊敬は消えることがなかった。朴訥で何を考えているか分からない飯沼が清顕に対する尊敬、そして後に煽情的でジャーナリスズム的行動に移る様などが興味深い。

蓼科は聡子の召使だが、飯沼が女中と恋愛関係にあることを松枝侯爵に密告したり、清顕と聡子の不義の関係を侯爵に報告した末に自殺未遂を企てたり、エピソードには事欠かない人物だ。

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